元旦からの酒断ちは、長くは続かなかった。
正月休みが終わり、世間が普段の生活に戻る頃、
夫もまた、元の酔っ払いに戻ってしまった。
今回も、期待は、いとも簡単に外れた。
飲みたい思いを抑えつけていた反動が、
夫の飲酒を後押しし……。
そして、飲み出したら止まらない。
その結果、夫は、自暴自棄が加速して、
四六時中、腹を立てている状態がしばらく続いた。
その日の夜も、
寝付けない夫が、私を呼び付けて、
私のあら探しを始めた。
ひとしきり、私をなじり、最後は弱々しい声で、
「下痢がひどくてトイレが近いから、
ひざが痛くて歩けないから、
もう、働けない。 何も出来ない。。。。。
俺はもう、終わりだ。 早く死にたい。。。」
夫は、生きることに疲れてしまったのだ。
アルコール依存症という病気が、
夫の生命力を奪い取っていく。。。。
「そんなに、簡単には死ねないと思うし、
そんなに、急がなくてもいいと思う。
時が来れば、必ず死ぬんだから……」
「俺なんか、早く死んだ方がいいんだ。
俺なんか、いない方が、おまえは楽になるし…」
「私を楽にと思ってくれるのなら、
病気を諦めないで、回復への道を歩んでほしい。
生きて、私を楽にして……」
「トイレも間に合わなくて、垂れ流しで…。
こんな汚いジジイなんか、嫌いだろ」
「粗相は、病気だから仕方ないよ。
病気が良くなれば、きっと、治まるから。
まずは、全ての病気の原因になっている
アルコールの毒を抜くことから始めようね。
心も体も、今が変わり目だと思う。
時期を逃さないでほしい。
パパは、痛みがひどくて苦しんでいるけど…。
でもね、苦しいのは、パパだけじゃないんだよ。
私も子供たちも、苦しいんだよ。
パパのことを
嫌いになれないから、つらいんだよ」
「。。。わかった。。。。。」
夫は掛布団で顔を隠し、声を押し殺して泣いていた。
私は自分の思いを、その苦しさを、
夫の所為にして、夫を追い詰めてしまった。。。。
どうして、もっと、優しく出来ないのだろう。
相手は、とても痛々しい病人なのに……。
「。。。わかった。。。。。」
弱々しい声だったが、
何か期するものがあるように感じられたので、
アルコール依存症治療を切り出してみた。
今の夫は、自分一人の力で、
酒をコントロール出来る状態ではない。
町医者で処方されている糖尿病や肝臓、
膝や痔などの薬は、気休めにもならない。
専門病院での正しい治療が必要だ。
「もう一度、お酒を抜く治療から、始めようね。
足の痛みも下痢も、今よりは楽になると思うから…。
このままじゃ、酷くなるばかりだから、ね。
もう一度、頑張ってみようね。
少しでもいいから、ここから抜け出そうね」
『このままじゃ』 いけない。 変わらなくては。
それは、私自身への警告でもあった。
「わかったよ。 ありがとう。
おまえは、優しいなぁ。
こんな俺に優しくしてくれて、ありがとう。
つらい思いをさせちゃったね。
ごめんね。 本当に、ごめんね。
まだ、俺の側にいてくれて、ありがとう。
本当に、ありがとう。 ありがとう。。。。」
夫は、ぽろぽろ涙をこぼしていた。
夫の口から、こんなにもたくさん、
『ありがとう』の言葉が飛び出すなんて……。
これまで、罵声ばかり浴びせられていた私は、
耳を疑ってしまった。
私は、優しくなんかない。
こそこそと、逃げ出す準備を進めていたのだ。
そして、その時期をうかがっているような、
打算的な女なのだ。
ガリガリに痩せ細って、
弱々しく、痛々しい姿に変わり果ててしまった夫。
出来ることなら、回復へと繋がってほしい。
53歳、まだ何とかなる。 今なら、きっと間に合う。
過去に2回入院した、有名専門病院での再治療は、
気乗りしない様子だったので、
夫の了解を得て、別の専門病院に電話を掛けた。
初診予約制になっていて、
10日後の1番枠が夫の診察日時になった。
これで、まずは、ひと安心。
診察予約日が待ち遠しかった。
「まだ、1週間先か。 早く、入院したいなぁ」
禁酒しなければ、どうにもならないくらい、
夫の身体の痛みは最大級になっていたのだと思う。
でも、禁酒も節酒もできない。
隠れ酒は、ずっと、続いたままだった。
おそらく夫は、離脱症状が出るのが怖いのだと思う。
昨年6月、専門病院の外来を受診し、
2回目の入院を予約した帰り道、
小さなてんかん発作を何度も繰り返し、
結局、救急車を呼ぶ大発作になってしまったのだ。
これには、かなりの恐怖を覚えたようで、
一定量のアルコールは、体内に入れておかないと、
酒が切れたら、また、発作がやって来るに違いない。
夫は防衛策として、飲酒を正当化しているのだ。
飲むことを最優先させる病気を
抑える力は、私には無い。
今回も初診予約日までは、
酒は必需品で、手放せない様子だった。
そんな最中だった。
深夜、携帯の着信音が鳴り響き、私は目覚めた。
夫の携帯からだったが、声の主は夫ではない。
「履歴を見て、お電話しました。
ご主人様が、道の端に倒れていたので……。
家まで送りましょうと言っても、遠慮されて……。
意識もあり、痛い所もないみたいですが、
おひとりでのお帰りは、心配で……」
心臓がバクバクしてしまった。
夫は、杖を頼りに歩いている。
日中こっそり、酒を買い足しに出ることはあったが、
膝を痛めてからは、夜間の外出はなくなっていた。
なんで、こんな時間に外をふらふらして……。
なんで、なんで、なんで。。。。。。
同じフレーズが頭の中をぐるぐる回っていた。
夫は自宅から少し離れた坂の上の住宅地にいた。
すぐに、家を飛び出し、迎えに行った。
夫は、低い石崖にちょこんと座っていた。
その側に、夫を見守る若夫婦が立っていた。
真冬の夜空の下で、
これ以上、待たせては申し訳ないので、
名前と住所を聞き出し、お礼もそこそこに退散。
覚束ない足取りの夫の腕をつかみ、家路に着いた。
「眠れないから、散歩に出たんだ。
後は覚えていない。
わからない。 全然わからない」
泣きじゃくる夫を問い詰めても、無意味だ。
「もう、大丈夫だから。 体を休めよう。
眠れないかもしれないけど……。
横になったほうがいい。 もう、大丈夫だから」
夫をなだめながらも、私の頭の中は混乱していた。
全然、大丈夫じゃ、ないじゃん。
危うく、野垂れ死にする所だった。
まだ1週間も先の予約なんて、待っていられない。
夫も、混乱していた。
「俺は、どうすればいいんだ!!
何も、わからないし、考えられないんだ。
おまえが決めてくれ!! 助けてくれ!!」
初診予約した新しい病院か、
すぐ再診可能な以前の病院か。
選択肢は、ふたつしかないことを伝えると、
夫は、毛嫌いしていた以前の病院を希望した。
「好きじゃないけど、あの病院の方が、
中の様子や流れも知っているので、楽だ。
新しい病院がいいとは限らないし……」
本人の意向通りに、あの病院まで付き添うことが、
私の役目になった。
翌朝、電車とバスを乗り継いで、
昨年の秋に退院した病院へと向かった。
4か月足らずで、また、お世話になるとは……。
季節が冬という以外は、勝手知った風景だ。
なんだか、懐かしくもある。
相変わらず、この病院の外来は満員御礼だ。
自分の順番が気になるらしく、
頻繁に、窓口の看護師をつかまえては、
尋ねている年配の女性がいた。
女性は、付き添いだった。
患者は、車いすに座っている旦那さんだ。
すでに、アルコールが入っている様子だった。
声がでかいし、態度もでかい。
「もう、いい!! 帰る、帰るぞ!!」
その男性は、車いすから立ち上がり、
正面玄関へ、すたすたと歩いて行ってしまった。
奥さんが、泣きそうな顔をして追いかけていた。
その夫婦の家での様子が垣間見られて、
悲しい気持ちになった。
他人事とは思えない。。。。。。
なんとか、正気に戻ってほしくて、
なだめすかして、ここに連れて来たのだろう。
家族の願いで来院したが、
こんなに長時間待たされるのは、不本意だ。
ちょっと、酒を飲み過ぎただけじゃないか。
酒を控えればいいんだろう。
そんなこと、分かっているし、自分で出来る。
旦那さんの後ろ姿が、そう語っているようだった。
夫も、その夫婦を目で追いかけていたので、
「帰っちゃったね」と、耳元でささやくと、
「そんな奴ばかりさ」
夫は、吐き捨てるように言った。
夫の順番は、思っていたより早く来た。
約4か月前までは、ここの入院患者だったのだから、
分厚いカルテがあるので、話はどんどん進む。
出来るだけ早い入院を望んでいることを申し出ると、
最短なら、本日入院可能と言われて……。
「えっ?」と、夫も私も顔を見合わせてしまった。
でも、すぐに、私は思った。
これがチャンスなんだ。
この波に乗った方がいいんだ。
夫も、一瞬は戸惑ったが、
どうせ、入院は覚悟の上での受診だったので、
スムーズに事は運んだ。
入院前の検査が立て続けに用意されて、
検査室をあちこち梯子した。
レントゲン室まで付き添ってくれた看護師さんは、
前回の入院の時にもお世話になった人だった。
夫がレントゲン室に入ったので、
私は、そのベテラン看護師さんと二人きりになった。
ふと、愚痴が出てしまった。
「3回目なんですよ。
今度こそ、回復して欲しいのですが……。
前回のことを思うと、あんまり期待は持てなくて……」
「7回も8回も出たり入ったりを繰り返している
患者さんも、珍しくないですよ」
3回位はよくあることと、前向きに捉えるよう、
励ましてくれたのかと思いきや、
「奥さん、覚悟が必要ですよ。
この病気は、突然、亡くなることもあるし、
ずるずると生き続け、介護が大変になることも…。
覚悟が出来ないなら、今のうちに、
縁を切っておいた方がいいですよ。
あなたのためにも、ご主人のためにも……」
回復しないことを前提に、話が流れている。
回復なんて、きっと、奇跡に等しいのだ。
病院には繋がったが、
病気を治めるのは、本人次第なのだ。
まだ見ぬ退院後なのに、私の中では、
前回同様の顛末が頭をよぎってしまう。
「漠然とですが、
私が看取るしかないような気がするのですが……。
まだ、心は揺れて、定まりません。。。。」
「ご主人さんは、飲まなければ、とても、いい人なのね。
だから、あなたは、躊躇されているのでしょう。
でも、覚悟は持っていないとね」
好ましくない結果になった時、
それに対応する心構えが、私にあるだろうか。
『今のうちに…』
看護師さんの言葉が、胸に刺さった。
退院してから3カ月余りで、
また、この病院に舞い戻って来たのだ。
少しも、断酒できていない。。。。。
入院初日、夫の担当と名乗る看護師が挨拶に来た。
私は、お恥ずかしいやら情けないやらで、
病室の隅で、気まずく恐縮していた。
「また、お世話になることになりまして……。
ご面倒をお掛けしますが……。
どうぞ、よろしくお願いします。。。。。」
看護師さんは、うら若き女性だった。
「他の病院ではなく、
よく、この病院に来て下さいましたね。
また、ここで治療しようと、
よく決心してしてくれましたね。
戻って来てくれて、本当に良かったです。
お身体、治していきましょうね」
にこにこと優しい笑顔で、迎えてくれた。
「実は、もう、入院は3回目なのです。
今度こそ、うまくいくといいのですが……」
私が、夫をたしなめるような言い方をすると、
「今までの入院も、決して無駄にはなっていませんよ。
経験は味方ですから……。 ここで、専門の治療を受けて、
回復へと繋げていきましょうね」
看護師さんの温かい歓迎の言葉に、
夫は、目を潤ませ、声を詰まらせていた。
やっぱり、ここに戻って来てよかった。
今度こそ、改心して、
夫は飲まない生き方を目指すかもしれない。
離脱症状で、夫の手や体は小刻みに揺れ始めていた。
でも、私は、治療へと繋がったことに安堵していた。

そして、入院5日目、
離脱症状も落ち着いた頃かと思っていたが……。
夫は、病室で不満を増大していたのだった。
「明日、退院する。
ここにいたら、ストレスがたまるばかりで……。
看護師同士の申し送りが出来ていなくて、
俺の話は、全然伝わってないし……。
俺は、何度も同じことをしゃべらされて……。
尋ねているのに、回答は看護師ごとにバラバラで、
今日も別の看護師と衝突した。
もう、いやだ。 ここにいたくない。 我慢の限界だ!!」
夫はキレてしまった。
入院生活に不自由さは付きものだ。
病人といえども、ある程度の我慢は必要だと思う。
看護師さん達は、皆、忙しく大変なのだ。
夫ひとりだけを看ているわけではないのだ。
あぁ、また、夫のわがままが始まった。
自分のことしか、自分の都合しか頭にない。。。。
時計は、夜の12時を回っていた。
夫が家にいないので、私は高枕を満喫していたのだ。
その寝入りばなを叩き起こされ、
自主退院の話なんて……夢なら、覚めて欲しい。
私は、ただただ、夫の話に相槌を打ち続けていた。
「そうなんだ」「そうだね」「わかった」。。。。。。。。
夫の気が済むようにすればいい。
私が、じたばた騒いだところで、どうなるものでもない。
電話を切った後、
「勝手にしやがれ!! おバカじじい!!」と、
毒突くと、何だかスッキリしてしまい、すぐに眠れた。
一筋縄ではいかない夫と暮らすうちに、
したたかさが身に付いて……。
夫婦は、似て来るものだなぁ~。
影響力、恐るべしである。
回復の見通しもたっていないのに、
退院なんて、馬鹿げている。
でも、夫のことだ。
有言実行するに違いない。
「明日、帰るから。。。。」
夫が宣言した「明日」は、私の勤務日だった。
迎えには行けない。
帰りたければ、ひとりで荷物をまとめて、
帰ってくればいい。
その朝、7時を過ぎた頃、私の携帯電話が鳴った。
もちろん、夫からだ。
私は大きく深呼吸してから、電話を取った。
夫が喋り出さないので、
少しの間、気まずい沈黙が続いた。
「。。。もうちょっと、ここにいる。。。。」
消え入りそうな小さな声だったが、
自主退院を撤回して、入院を続ける気になっている。
「そうだね。 それがいいと思う」
「うん」
「よく、思い直してくれましたね。
ありがとう!!」
「うん」
「本当に、よく、決心してくれましたね。
私、とっても、うれしい。
本当に、本当に、ありがとう!!」
「うん」
とどまってくれたことが有り難くて、
私は、「ありがとう」を連発していた。
夫は、この病気を何とか治めたいと、
真剣に思い始めているのかもしれない。
治療が続くことで、体が楽になり、
きっと、心も落ち着きを取り戻すことだろう。
アルコール依存症関連の本を読みあさって、
ノートに書き留めた一文がある。
『……アルコール依存症とは、
誰かに「治してもらう」的な病気ではなく、
回復への自分自身の努力が必要……
……アルコール依存症の専門医療とは、
回復のための協力者で、
これだけで回復できるものではない……』
専門治療に三度繋がったが、まだまだ、これからだ。
病気回復の鍵は、夫自身が握っているのだ。
実は、私の夫は努力家でもあるのだ。
「アルコールのいらない生き方」のために、
今こそ、その能力全てを使って欲しいと思う。
入院病棟に留まった夫は、
淡々と日々のプログラムを消化しているようだ。
入院中は、酒の毒から隔離されているので、
気が休まるらしい。
険のある言い方が消えて、声音は限りなく優しい。
ここ10年ほどは、くりくり坊主だったのに……。
最近は髪を伸ばし、院内の床屋で調髪している。
自分でもムースを付けたりして、整髪している。
ちょっとした、イメージチェンジなのだ。
かつて、髪が薄くなり始めた頃、
夫は「髪があるから薄さが目立つ」と言い出し、
突然、丸坊主にしてしまった。
私も娘も、その変貌振りにドン引き。
顔がむき出しで迫って来て、ものすごく怖いのである。
当時、中学生だった娘は、
「パパを友達に見られたくない」と言い出す始末。
そんな陰口にも動ずることなく、ずっと坊主を貫き…。
昨秋、花嫁の父となった時も、
坊主頭でモーニングを着こなし、
式場内に、堅気の人とは思えないオーラを放っていた。
それが今は、くしを入れて、小粋に決めている。
短髪だが、いい雰囲気なのである。
顔付きも穏やかで、物腰も柔らかで……。
酒漬けだった時とは大違いだ。
今度こそと心がはやるが、手放しで喜べない。
前回も前々回の入院中も、夫は優等生だったのだ。
でも、退院後、すぐにスリップした。
体は回復したが、
心の回復が手付かずだったのだ。飲まない生き方を素直に認めることが出来ず……。
飲みたいのを我慢しながらの禁酒だったので、
辛抱が続かないのは当然だ。。。。。。
今度こそ、今度こそ、うまくいきますように。
髪型を変えるように、
心も簡単にチェンジ出来たらいいのになぁ。

願い事は、どこにいるか分らない神様に頼むより、
居場所の分かる仏様!!と、思い立ち……。
私より、年が一回りも若い父に手を合わせる。
相変わらず、私は他力本願だ。