今年も、やってくれた。
ある意味、期待を裏切らない男だ。
大晦日、早々に床に就いた夫は、
除夜の鐘の音で目覚め、着替えて出て行った。
歩いて数分の所に、小さな神社がある。
おそらく、そこへ、初詣に行ったにちがいない。
境内での振る舞い酒をひとり占めしていたのだろう。
正月は、日がな一日、酔っ払っていても、
世間の目が気にならない。
飲酒に拍車が掛かる。
飲み出したら、止まらない夫だ。
元旦、家に戻ったようだが……。
おせちの用意が出来ても、部屋から出て来ない。
私は、水槽の金魚を見ながら、
「あぁ、やっぱり。。。。」と、納得してしまった。

金魚は、逆さになって、息も絶え絶え。
この金魚は、5年前、ペットショップで、
夫の見立てで、一匹だけ購入したのだ。
その世話は、いっさい私まかせ。
エサを遣るでもなく、観賞するでもなく、
夫は、その存在さえも忘れているような???
金魚と夫は、そんな冷めた関係?なのに……。
不思議なことに、夫の具合が悪くなると、
金魚の様子もおかしくなるのだ。
金魚が夫の体調の鍵を握っているかのように思えて……。
まずは、金魚を薬浴させ、その回復を待つ。
こうして、ここ数年、
金魚と夫は、危機を乗り越えて来たのだ。
元日、朝帰りした夫は、ずっと床に伏したまま。
明らかに、飲み過ぎなのだ。
五臓六腑が悲鳴を上げているのだろう。
静かに横になって、酒の毒が落ち着くのを待つ
という、もくろみのようだ。
去年の正月は、自転車運転中に転倒し、
頭や足に怪我をして、大騒ぎになったのだ。
今年は、怪我をしていないだけ、マシ。
私は平静を装って、ひとりで、おせちをつまんだ。
布団の中で、うつらうつらしていた夫が、
2日の朝になって、やっと、床から出て来た。
「気持ち悪い夢をみた。。。。」
不快そうに言うので、夢の内容を尋ねてみた。
「よく、覚えていないが……。
夢の中に、おまえがいた!!」
気色悪い夢と私!?
なんとも失礼な話だが、夢に腹を立てても仕様も無い。
縁起の悪い夢が、夫の初夢になった。
夫の様子が気がかりで、うたた寝の私は、
初夢を見ていない。。。。。。
7日が仕事始めの夫。
かろうじて、出勤したが……。
金魚は、腹を上にして、浮いたままだ。
夫の具合の悪さが窺える。
今回は、長期戦になりそうだ。
「助かりたい」と、
夫が本気で思わない限り、何も始まらない。
夫のつらそうな姿を見ても、
私には、どうすることも出来ない。
「アルコール依存症治療には、再飲酒はつきもので……
飲酒すると確実に病気は悪化し、失うものも多くなる。
……この病気は、何回か失敗しないと、
本当に酒を止める気にはならないものである」
依存症関連の本の一文が、頭から離れない。
「何回か失敗……」
一回の入院治療で懲りてしまった夫は、
再飲酒をストップさせる機会を逸した。
「もう一度、入院してやり直せばいいのに……」
家族は皆、心の中で、そう思っているのに、
当の本人は治療に背を向け、諦めてしまっている。
それどころか、
自分はアルコール依存症ではないかも。。。と、
疑心を抱いている。
家族に隠れて、自室で飲酒している行為自体が、
アルコール依存症そのものなのに……。
ダメなものは、ダメなんだ。
夫の身体に、アルコールはNGなのだ。
往生際が悪すぎる。
早く、目を覚ましてほしい。
夫のベッドの下には、
文庫本を収納したケースが、数個並んでいる。
そこに、飲みかけのウイスキーの瓶が納まっていた。
こんな、安酒で身体を傷めつけて……。
中身を捨ててしまいたい衝動に駆られる。
でも、そんなことをしても、事態は好転しない。
ダメな部分を否定しない。
事実をありのままに受け止める。
家族のために、夫は、がむしゃらに走ってくれた。
お陰で、子どもたち二人は大学を出て、社会人に……。
最低限の親の役目は果たしたと思った時、
力尽き、生きる目的を見失ってしまったのだろうか。
酒に酔って、このまま終わってしまっても構わないと
言わんばかりの夫の立ち振る舞いに、心が痛む。
病気になった今が、
生きる意味を見直す時なのに……。
人生の目的があれば、それが生きる力になるのに……。
弱々しい命の灯火を前にして、
私は、励ますことも、元気づけることも出来ず、
ただ、見ているだけ。。。。。
いったい、どうなってしまうのだろう。
あれから、ずっと、
金魚は、逆立ちしたまま、漂っている。
「どうせ、断酒できない」
今の夫は、アルコール依存症という病気に
立ち向かう気が失せてしまっている。
日々、酒に溺れて、
内臓が壊れるのを待っているかのような……。
自虐的になっている所がある。
アルコール依存症の治療は、
酒を完全に断ち、二度と飲まない生活を送ること。
「断酒」が常識なのだ。
酒を飲み続けている限り、命の保証はない。
夫 「酒が好きだから、うまいから、飲むんだ」
私 「身体を壊してまで、飲むのは、おかしいと思う」
夫 「どうせ、治らない病気だ!!」
私 「飲まなければ、身体は回復し、楽になると思う」
夫 「どうせ、断酒なんて、出来っこない!!」
夫の父親は、片時も酒を手放さない人だった。
それでも、持病の薬を飲む程度で、
寝込むことなく、70歳まで生きた。
その終わりは、見事に呆気なくだった。
車を駐車中に脳溢血を起こし、
病院に運ばれたが、早々に、逝ってしまった。
夫は、そんな父の姿を
自分にダブらせている節がある。
血筋?を信じて……。
飲み続けて、ある日、ぽっくり!?
「断酒」という常識に逆らって生きる夫。
思い描いたように行かないのが、世の常とは思うが……。
夫は、夫の物差しで、自分の人生を決めればいい。
酒を飲み続けている限り、命の保証はない。
が、いずれ、誰にでも、
遅かれ早かれ、終わりが来るのだから。。。。
毎朝、恐る恐る、水槽を覗く。
不自然な格好になってしまったが、
金魚は浮いたまま、静かに生きている。
水を入れ替え、薬浴させるのが、
年明けからの私の日課になった。
以前なら、とっくに回復している頃なのに、
今回は、思いのほか重症だ。
夫も、虫の息の金魚に気付き、
じっと、水槽を見つめていた。
「寒いんじゃないか?」
熱帯魚ではないので、常温でいいはずだが……。
夫の言葉が気になって、
藁にもすがる思いで、お湯を入れてみた。
金魚は、腹を上にしたままだが、
ひれを動かし、少し、泳ぎ出した。
ちょっとだけ、良くなったように見えたが……。
今思えば、
灯火消えんとして光を増す。。。。
つまり、最後の頑張りだったようだ。
今朝、水槽を覗き込むと、
そこには、口もエラも動いていない金魚がいた。
生きているものは、いつか必ず死ぬ。
それが、自然の摂理だ。
金魚の死は受け入れたが……。
夫のこれからを思うと、
なぜか、金魚の姿とダブり、不安が募る。
身体は、しんどいはずなのに、
最近の夫は、痛いとか苦しいとか、
泣き言を並べなくなった。
昨夜は会社の新年会で、
淡々と飲んで、夜11時過ぎに帰宅した。
以前のような泥酔状態ではない。
酒に支配されている身体のはずなのに、
抑制が効くのだろうか。
灯火消えんとして光を増す。。。。
一層の経過観察が必要だ。
病勢は、一進一退なら、まだいいが、
一進二退、三退……と、後退しているような???
夫は、寝ぼけて、よく時間を見まちがえる。
まだ、夜だというのに、慌てて、起きて来て、
パジャマを脱ぎ捨て、着替え出すのだ。
出勤モードの夫に、正しい時刻を伝えると、
いつもなら、時計の見まちがえに気づき、
布団に戻るのだが……。
昨夜は、やたら、疑り深くなっていた。
時計の針は、夜の11時半近くを差していたのに、
夫は、「朝の6時だ。 仕事に行く」と、言い張った。
家中の時計を確認して、深夜であることを伝えても、
「時計がみんな壊れている。 遅刻してしまう」
信じようとしない夫に、これ以上説明しても無駄だ。
私は取り合うのをやめた。
夫は、しばらく、
家の中をうろうろと歩き回っていた。
眠れない夫は、いつもなら、
こっそりと家を抜け出して、近くのコンビニへ、
酒を調達に走るのだが……。
なぜか、昨夜は、堂々としていた。
「眠れないから、酒、買いに行って来る」
こんなにも、あっけらかんと告げられると、
「気を付けて、いってらっしゃい」と、
見送ってしまいそうになる。
夫は、ウイスキーの角瓶1本と
柿の種が入った袋をぶら下げて、帰宅。
飲み出したら止まらない酔っ払いは、
ふらつき、ドスンとこけたり、壁にぶつかったり、
大声を出したりと、たいそう騒がしかった。
マンションなので、下の階の人は、
深夜の大きな物音に迷惑していることだろう。
隣近所に肩身が狭い。
酒を飲むことをやめない夫。
そんな夫に寄り添い、この先、どうなるのか。
飲んだくれたまま、私も夫も人生が終わってしまう。
でも、万が一、夫が断酒を決意したら、
新しい生き方が始まる。
この病気で、断酒に成功して、
回復している人は、ほんの一握りしかいないと思う。
夫の回復は、奇跡に等しい。
でも、万が一の奇跡がないとは、言い切れない。
そう思うことが、日々の支えになっている。
スーパーの鮮魚コーナーで、ヒラメの切り身を買った。
いつもなら、安いカレイだが、
給料日だったので、財布の紐が緩んだ。
一匹のヒラメが腹と尻尾の二切れになって、
トレイにパックされていた。
煮付けにして、晩御飯に出したのだが……。
腹の方は小さくて、貧相だったので、
身が大きい尻尾側の方を乗せた皿を夫の前に並べた。
すると、行き成り、怒鳴られてしまった。
「なんで、おまえが腹で、俺が尻尾なんだ!!」
「大きい方を……と、思って。。。。」
私は、慌てて、皿を差し替えた。
「俺に尻尾を食わせる気だったのか!!
まったく、非常識な奴だ!!」
夫は不機嫌のまま、食事は半分で終え、
自室に行ってしまった。
夫婦水入らずの食事では、
尻尾が失礼というような感覚がなかった。
それに、今までの夫は、そんなことで
神経を尖らせることなんてなかったのに……。
虫の居所が悪かったのか。
ものすごく、怖かった。
自室でひとり、酒を煽っていたようだが、
怒りがおさまったのか、夫は居間に来て、
炬燵に入り直すと、ミカンを食べ始めた。
「さっきの魚、ヒラメだけど、美味しくなかった?」
魚に疎い夫は、カレイと思っているに違いない。
奮発して、ヒラメを買って来たことを知らせたかった。
しつこいようだが、
たまにしか買わない高級魚だから、
大きい方を夫に食べさせたかったのだ。
「うまいとか、まずいの問題じゃない。
俺に、尻尾を差し出すなんて……。
お前は、どういう神経をしているんだ!!」
まだ、ご機嫌斜めだった。
触らぬ神に祟りなしと、私は口を閉じた。
重苦しい空気の中、
唐突に、夫が、小遣いの値上げを宣言。
夫の小遣いは、決して多くはないが、
いまどきのサラリーマンの平均だと思う。
「今の2倍にしてくれ!!」
「足りないの?」
「財布に、紙幣が少ししか入っていないのが、
イヤでたまらない。。。。」
夫が稼いだ給料だ。
断る理由がない。
「貯金をやめれば、
お小遣いを2倍にして、渡せると思うけど……」
「おお、そうしてくれ」
将来の安心を得るための貯蓄が、これで途切れた。
「貯金なんていらないよ。
そんなに長く生きれないから。
生きてる今、金を使いたいんだ!!」
夫に老後の考えはない。
平均寿命を参考にしたら、
私には、まだ、寿命が30年以上も残っている。。。。。
老いて、ひとり残されて、
生き続けるには、何かとお金が掛かる。
金が全てではないが、ある程度はないと困るなぁ。。。。
もう、ヒラメは買わないと、心に誓った。