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酒、人を呑む 「進学」

人生とは、まことに、不安なものだ。

進路を控えた高3の春、父を亡くした。

「自分の子どもには、学歴を…」

義務教育しか受けていない父の
こだわりのおかげで、
私は進学組に席を置いていたが……。

忌明けで、学校に行くと、
担任教師が、「初級公務員」受験を勧めて来た。

1970年代後半、
大黒柱を失った母子家庭では、
経済的に大学進学は無理だろう。
高卒で、じゅうぶんだ。
小学6年生の妹がいるのだ。
姉である私が働いて、家計を支えるのが当然。

「早く、死ねばいいのに…」
その望みは叶ったが、事態は思わぬ方向に……。

「父の代わりに私が稼ぐ!? そんなのイヤだ」
あくまでも、自分勝手な娘である。

勉強なんか、好きじゃないのに、
「もっと、勉強したい」と、うそぶくと、
担任が、学校推薦の進学先を探してくれた。

志望校ではなかったが、現役合格への近道なので、
すぐに、その話に乗ってしまった。

「取りあえず、学歴だけは、何とかなりそうだよ」
父の墓前にカップ酒を供えて、報告した。

この大学に行っていなければ、
おそらく、夫に出会うこともなかったと、思う。

酒、人を呑む 「弟分」

人生とは、まことに、不思議なものだ。

身近にいた大人の男たちは、
盆暮れ、正月、冠婚葬祭、
ワイワイ騒いで、酒を飲んでいた。

大人の女たちは、その給仕に追われ、
バタバタと走り回るだけで、
誰一人、酒を口にしていなかったように見えた。

そんな子供時代を過ごした私は、
「酒は男の飲み物」と、思い込んでいた。

私の母も、下戸だった。

学生時代、コンパと称して、
飲み会が繰り返されたが、私は1滴も飲んでいない。

母同様、飲めない体と信じ込んだまま、
飲みたいとも思わなかった。

先輩たちに、酒を勧められても、
「飲めません。。。。。」

私の代わりに、同級生の男子が飲まされ、
酔い潰れていた。

呑兵衛の父を見て育って来たので、
酒に弱い男がいるなんて、信じられなかった。

私が3年生の時、
所属していた文系サークルのコンパに、
中途で入部してきた1年生の男子が顔を出した。

すでに、体育会系のクラブに入っていた彼は、
「運動部は男だけで、女子がいないから、
 なんか、つまんなくて……」
そんな軽い理由で、サークルの掛け持ちをしていた。

コンパ会場で、新メンバーの彼は、
私の隣に座り、女先輩から酌されて、上機嫌だった。

私と同い年の姉がいると、
人懐っこい笑顔を振りまく彼に親しみを感じた。

大酒飲みの父が嫌いで、
酔っ払いを嫌悪していたはずなのに……。

彼の豪快な飲みっぷりに圧倒されて……。
不思議なことに、
酒に強いルーキーが、頼もしい弟のように見えた。

酒、人を呑む 「壊れ物注意」

人生とは、まことに、厄介なものだ。

私が20歳の夏、
母が、手術で3週間ほど入院した。

退院してからも、
母は、寝たり起きたりの生活だった。

高校受験に向けて、中3の妹は勉強に専念。
家事全般は、私の仕事になった。

母は専業主婦だったので、
母子家庭になってからも、
家事に私の出番は、ほとんど無かった。

経験がないのだから、要領が悪い。
体に疲れが貯まる。
心にストレスも貯まる。

頑張り過ぎたのかもしれない。

全てが面倒になり、
全てに投げ遣りになって、
学校へ行くのも、やめてしまった。

部屋に閉じこもり、ひたすら食べ続けた。
旺盛な食欲で、見る見る太っていった。

うら若き乙女は、体型を気にしてダイエット開始。
そして、お決まりのコース。
体重が少し戻ると、必ずリバウンドした。

母は復活したが、
過食と拒食を何度も繰り返し、私は壊れた。

私の人生は、終わったな。。。。

思い通りにならない現実にイライラし、
やけっぱちになっていた。

愛煙家の父が吸っていた「ハイライト」を
自販機で買い、恐る恐る、ふかしてみた。

不味かった。
鼻の奥がヒリヒリして痛かったが、
異常な食欲は、落ち着いた。

体調が戻りつつある喜びも束の間、
「煙草を吸う女は、キライだよ」
吐き捨てるような母の言葉が心に突き刺さった。

私の苦しみを、
母は分らないし、分ろうともしてくれない。
母の存在が、腹立たしかった。

聞こえない振りをして、
煙にむせびながらも、煙草を吸い続けた。

「次は、アルコールだ!」

怖い父は他界していたので、
あの頃の私には、もう、怖いものはなかった。

酒、人を呑む 「一人暮らし」

人生とは、まことに、非情なものだ。

こんな、はずじゃなかった。。。。

「誰もわかってくれない」と、殻に閉じこもり、
「これじゃ、ダメだ!」と、自問自答する日々。

壊れた私を心配してくれる人は、
何人かいたが、心を開けなかった。

3年の後期から、大学には行っていない。
卒業が危ぶまれる。

一応、指定校推薦枠で入学しているので、
中途退学したら、母校の高校に迷惑がかかる。

留年することなく、4年で卒業したかった。

環境が変われば、
きっと、この躓きから抜け出せるに違いない。

泣きながら、母に訴えた。
「家を出て、ひとりで暮らしたい。。。。」

安易な発想だったが、母は反対しなかった。
母も、私のていたらくを持て余していたのだ。

4年生の春、
2時間近くかかっていた自宅通学をやめた。

生活費はバイトで稼ぐと決めて、
大学沿線の3畳一間の下宿に引っ越した。

初めてのひとり暮らしに、
心が弾んだのは、最初だけ……。

やがて、自分の意志の弱さを、
まざまざと、思い知らされるのであった。

酒、人を呑む 「先駆者」

人生とは、まことに、皮肉なものだ。

自活すると意気込んで、家を出たものの、
目先の日銭ばかり気にかけて、バイト中心の生活。

学校へは、試験近くに、
情報収集で、教室に顔を出す程度。

学生の本分は、何処へやら……。
「漠然と進学すると、こうなる」
落ちこぼれの見本だ。

蕎麦屋、和菓子屋、干物屋にソフトクリーム店、
写真受付窓口、スーパーのレジ係等々、バイト三昧。

働くのがイヤで進学したのに、色々な所で働いて……。
何とも、皮肉なのもである。

憂さ晴らしに、酒でも飲みたい気分だが、
長続きしないバイトで、酒代に回せるお金はなかった。

悪戯に吸った煙草は、習慣になり、
煙草代を切り詰めるため、
オレンジ色の「エコー」にまで手を出した。

ふーっと吐き捨てた煙の行方を
ぼんやりと眺めるのが好きだった。
紫煙をくゆらすことができれば、味は何でもよかった。

本当は、自分の人生を
煙に巻いてしまいたかったのかもしれない。

結局、4年間の学生生活で、
まともに、学校へ行ったのは、前半の2年半くらい。

生活環境を変えてみた所で、
自分の心根はすさんだままなので、
事態は好転しなかった。

ほとんど講義を受けていないので、
卒業試験の答案用紙は、
的外れの解答になってしまい……。

姑息な手段だが、答案用紙の片隅に、
「卒業させて下さい」と、お願いの一文を添えて……。

ギリギリの単位数で、何とか卒業にこぎ着けた。

が、就職先がない。

「早く、自立して、母を安心させたい」

そんな心とは裏腹に、
やっていることは、寄生虫生活だった。

摂食障害、ニート、パラサイト……。

そういう言葉が、身近になかった時代から、
そのような暮らしぶりをしていた私は、
ある意味、流行の先駆者かも???

今、自分の身の上を思い返し、ひとり苦笑いである。

酒、人を呑む 「再会」

人生とは、まことに、劇的なものだ。

日本武道館での卒業式、
会場内の壁際には、黒い学ラン姿の下級生が、
警備に駆り出されて、ずらりと並んでいた。

その中に、かつて私が入っていたサークルの後輩
(体育会にも所属)も、立っていたらしい。

ひとりで、式に参列した私は、
自分の居場所を確保するだけで、精一杯。

知人がいるかどうかを捜すことは不可能なほど、
会場は、ごった返していた。

彼は、心細げにトボトボ歩く私を見たと言う。

思わず、駆け寄りたくなったが、
列を離れることは厳禁だったので、
ずっと、その姿を目で追いかけていたそうだ。

彼の視線に気付いて、私が顔を向けたら、
合図を送りたいと構えていたそうだが……。

その時の私は、彼の存在に気付くことはなかった。

卒業式での私の知らないエピソードを
後になって、彼から聞かされ、私はびっくりした。

確か、新歓コンパの時、
新入生の彼に、先輩として酌をしたが……。

その後、私が、引きこもったので、 
面と向かって、言葉を交わしたのは、
後にも先にも、あの新歓コンパの時だけ。

にもかかわらず、
義理堅い彼は、幽霊部員となった私にまで、
年賀状や、暑中見舞いを送ってくれて……。

私の具合をさりげなく気遣う、心優しい後輩だった。

でも、まさか、あの広い会場で、
私を見つけていたとは、思わなかった。

これを、「運命の再会」と、いうのかもしれない。

卒業後の夏も、暑中見舞いの葉書が届いた。

元祖?フリーター生活に突入する私にとって、
彼の存在は、何かと便利で心強いものに……。

酒、人を呑む 「祝い酒」

人生とは、まことに、残念なものだ。

卒業後、下宿を引き払い、家に戻った。
遊んで暮らせる身分ではなかったので、
取り合えず、また、バイトを探す。

そこに居るだけで、お金が頂けるという、
怠け者の私に、打って付けの仕事があった。

住宅街の中古一軒家での、お留守番だ。

オープンハウスの旗に誘われて、
間取り等を見学に来た人たちに、
記帳をお願いし、物件のチラシを配る。

午前10時から午後4時まで、
その家に居れば、何をしてもOK。
寝転んだり、お菓子を食べたり、
読書、手芸等で、時間を潰した。

平日は、ほとんど来客ナシ状態。
接客は土日に集中したが、
混雑するほどではなかった。

ずっと、売家の買い手がつかないまま、
3か月ほどたった、ある日、
経費削減で、「お留守番」は終了した。

気楽な仕事だったのに、残念だ。
また、無職になってしまった。

家にいても、肩身が狭い。

地元には、ろくな勤め口がない。
東京に出れば、仕事はたくさんある。
だから、家を出て、東京で働く!!

束の間のひとり暮らしで味を占めた私は、
家を飛び出す口実を探していたのだ。

東京での部屋探しを思い立った時、
下宿していた後輩のことが、頭に浮かんだ。

ひとり暮らしには、近くに知人がいた方が心強い。
大学3年だった彼に、近場の物件の下調べを頼んだ。

彼のお陰で、
手頃なアパートが見つかり、引っ越し完了。

「引っ越し祝い」ということで、彼が酒を振舞ってくれた。

「東京へ、ようこそ。 乾杯!!」

コップ酒を一気に飲み干す彼。
つられて、私も酒を口にした。

初めての酒はウマイとは思えなかったが、
簡単に喉を通り抜けて、グビグビ飲めた。

「心機一転、一から出直し、頑張ります! 
 これからも、よろしくお願いします!!」

職探しは、まだ、これからだというのに……。
順風満帆な気分で、浮かれていた。

大酒飲みの父のDNAを受け継いでいたようで……。
この日から、酒は私の友になった。

誕生日

電車に振られ、車内にカニの匂いを振りまきながら、
4日の日曜日、久しぶりに、離れて暮らす娘がやって来た。

東京・上野のアメ横で
買い求めたカニだそうで……。

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店員のおじさんとの駆け引きで、
「パパのお誕生日なんだから……」を繰り返し、
粘りに粘って、値切った戦利品?なのだ。

夫の誕生日は7日だが、
仕事を持つ娘の都合で、少し早めに、お祝いすることに……。

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近頃の夫は、飲み過ぎて粗相することもなく、
淡々と暮らしている。

相変わらず、アルコールは手放せず、
ウイスキーの小瓶1本を適量と決めて、
酒量をセーブしているようだ。

52歳は、アルコール依存症者の平均寿命と聞いている。

夫は命を削って、酒を飲み続けている。
まだ、断酒という選択肢はないようだ。

夫の人生は、夫が決めればいい。
私が、じたばたしても始まらないのだから。。。。。

夫の素行に目くじら立てて、
不平不満ばかり言っていると、
私の生涯が、つまらなく終わってしまう。

高望みさえしなければ、
この人生、そんなに捨てたものじゃない。

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先日、娘が描いたポスターに、ちょこっと手を加え、
二人で、再び、誕生日を祝った。

「お誕生日の当日に、パパに渡してね」と、
娘から預かっていた紙を、夫に差し出した。

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飲み続けて死ぬ道から、
飲まずに生きる道へと、
方向転換を祈るばかりだ。。。。。

酒、人を呑む 「安易な発想」

人生とは、まことに、安易なものだ。

実家を飛び出し、ひとり暮らしを始めたが、
なかなか、定職に就けずにいた。

「ゆっくり、探せばいいよ。
 ○○ちゃんに合った仕事、
 きっと、見つかるから、大丈夫だよ」

まだ、学生だった彼は、
日雇いのバイトで稼いだお金を回して、
私の生活を助けてくれた。

「自立する!!」と、
親に大口をたたいたことが、後ろめたい。

しばらくは、彼の好意に甘え、
他力本願の暮らしだったが、……。

遅ればせながら、
某研究所の事務職に非常勤で採用され、
なんとか、生計が立つようになった。

自分の稼いだお金で飲む酒は、うまい。
気が置けない仲間たちと飲む酒は、更にうまい。

酒飲みは、酒飲みと群れるようで……。

彼のもとに集まる友人も後輩も、
皆、こよなく酒を愛していた。

彼の下宿で酒盛りがあると、私にもお呼びがかかった。
一応、社会人なので、
つまみと安い日本酒1升瓶を手土産に持参して、参戦。

飲んで騒いで、酔い潰れて、雑魚寝。
翌朝、酔いの醒めないままに、仕事に行ったことも……。

あの頃は、そんな、無茶も出来てしまった。

「同じ家で暮らせば、生活費を抑えられるね!!」

彼が、大学を卒業する頃には、
安易な発想で、共同生活を開始してしまった。

その後、共同生活は、結婚生活へと変化する。

「アタシが扶養家族になれば、
 各種手当が上乗せされるから、
 お給料の手取りが、増えるね!!」

目先の損得勘定で、式も挙げず、さっさと入籍。

安易に流されて……。
酔った勢いで、事を進めて来たような???

そのツケが、今になって回って来たのかもしれない。

酒、人を呑む 「無礼講」

人生とは、まことに、面倒なものだ。

共同生活がスタートした年の暮れ、
彼に連れられ、新幹線を乗り継いだ。

行先は、彼の両親が暮らす山口県。

社会人としての「けじめ」だろうか。
彼は、私を両親に会わせると決めたのだ。

1983年の晦日、
夜も遅くなってからの到着だったので、
挨拶もそこそこに、私たちは休ませていただいた。

翌日は、彼の父親の車を借りて、二人でドライブ。

錦帯橋を渡ったり、
瀬戸内の海に浮かぶ島を案内してもらったり……。

目に触れる景色の全てが、驚きと新鮮で溢れていた。
こんなに雄大な環境で育った彼に羨ましさを覚えた。
          
その晩は大晦日で、
彼の姉夫婦とその幼子たちも加わり、
にぎやかに、夕食が始まった。

彼の父は、昼間から、焼酎のお湯割りを
ちびちび飲んでいたようで、かなり上機嫌。

熊本生まれの父親、鹿児島生まれの母親、
山口育ちの姉たちやその子どもたち。

方言が飛び交う会話にはうまく入り込めず、
私は愛想笑いで誤魔化していたが……。

手持ち無沙汰で、
飲むペースがどんどん早まってしまい……。

酔うと笑い上戸になる私は、
むやみやたらに可笑しさが込み上げて来て、
ひとりで、ケタケタ笑っていた。

そんな私を指差して、突然、お義父さんが、
「女優の島田陽子に似ている」と言い出した。

一同に注目され、戸惑っていると、
「全然、似てないよ~。 爺さん、相当、酔ってるなぁ」
彼が大声で打ち消し、笑い飛ばしてくれた。

たぶん、お義父さんが知っている、
唯一の女優さんだったのだろう。
私への精一杯のお世辞なのだと思った。

食事を終えた者たちは、席を離れ、
テレビに見入ったり風呂に入ったりと自由にしていた。

呑兵衛たちだけが、ズルズルと飲み続けていた。

正面にいたはずのお義父さんが、
いつの間にか、私の真横に座っていた。

「めんこかね~~~~」とか言いながら、
私のほっぺにチューをした。

「○○より、ワシの方が、よか、男ばい!!」

自分の息子と対抗して、どうする???
しかし、お義父さん同様、私も充分に酔っ払っていた。

「よか、男に、乾杯~~~~」

彼は、切らした煙草を買いに外へ出て行ったので、
私は、お義父さんとふたりでの酒盛りになっていた。

その間、握手されたり、頭を撫でられたり……。
今、思えば、セクハラ行為!?なのに……。

酔っ払い同士は、羽目を外しがち。
酒の力が、無礼講にさせる。

勧められるままに、何度もおかわりしていたら、
酔いが回って、眠たくなって来たので、
一足先に、2階で休ませてもらうことに……。

布団に転がって、
うとうと寝かけて、事件が起きた。

一気に、酔いが吹っ飛ぶことに……。

酒、人を呑む 「似た者同士」

人生とは、まことに、因果なものだ。

彼に連れられ、
彼の両親のもとを初めて訪ねた。

2泊目の夜だった。

酔いが回った私は、
一足先に2階の寝室に移動した。

なにやら、階下が騒がしい。
言い争うような声が漏れ聞こえて来たが、
そのうち収まるだろうと、楽観していた。

「さっさと、出ていけぇーーーー!!
 今すぐ、出ていけぇーーーーー!!」

お義父さんの酔いどれ声と同時に、
物凄い勢いで、彼が階段を駆け上がって来た。

「帰るぞ!!」

彼に、たたき起され、
慌てて荷物をまとめ、外へ出た。

その場に居合わせた母親も姉たちも、
親子喧嘩の仲裁は出来なかった。

父親が暴れ出したら、誰も止められないのだ。

ど田舎の夜空の下、放り出されて……。
寒さと心細さで震えながら、暗闇を歩き、国道に出た。

走るタクシーに手を振っても無視され続け、
1時間くらい経った頃、1台のタクシーが停まってくれた。

「取り合えず、今からでも泊まれる所へ行って下さい」

彼がお願いすると、運転手さんは考え込んでしまった。

「この時間では、旅館は無理だし……。
 泊る所って言われてもねぇ~。 困ったなぁ~」

タクシーは、私たちを山奥のラブホテルに運んだ。

「ごめんね。あんな親とは、絶縁するから!!」

除夜の鐘が、
彼の決意を応援するかのように、響き渡っていた。

喧嘩の原因を尋ねても、
彼も酔っていて、よく覚えていないのだ。

いきなり、父親が切れて、暴言を吐いたので、
売り言葉に買い言葉で、エスカレートしたらしい。

私と飲んでいた時は、あんなに上機嫌だったのに……。
いったい、何がどうなっているのやら???

大晦日に、彼の実家から追い出され、
うらぶれたホテルで、新年を迎える結末。

あの時は、恨んだ。
お義父さんを人で無しと非難した。
酒癖の悪い、最低最悪の父親だ。

彼の生い立ちが偲ばれて、胸が一杯になった。

私たちが惹かれあったのは、似たような父を持つ、
似た者同士だったからなのかもしれない。

「お酒さえ、飲まなければ、
 いい人なんだけどねぇ~。 お酒さえ……」

お義父さんを知る人は、口々に声を揃える。
暴飲は、人間関係を壊す。

「お酒さえ、飲まなければ……」

酒に目が無い彼も、然り……。 
のちのち、暴飲で体を壊すことに……。

酒、人を呑む 「爆弾発言」

人生とは、まことに、お節介なものだ。

さほど、花嫁衣装に思い入れもなかったので、
入籍だけで充分だった。

2月の大安に、ふたりで婚姻届を出し、
ちょっと高めのワインで、乾杯した。

3月の中頃だったと思う。

職場の友人Tさん宅で、お茶をご馳走になり、
お喋りに花を咲かせていた。

Tさん宅は、車通勤の夫の帰り道でもあったので、
彼が立ち寄り、私を拾う手はずになっていた。

いつもは、玄関先でお辞儀だけの夫が、
この日は、Tさんに親しげに話しかけていた。

「来月、結婚式がありますから、
 Tさんも、是非、いらして下さいね!!」

彼が、私の友人を誘っている。

「誰が結婚するの? 
 Tさんも知ってる人なの???」

ちんぷんかんの私に、

「俺たちに決まっているだろう」

初耳である。

「式場も、日取りも、決めて来た。
 これ以上、年をとると花嫁衣装が似合わなくなるからな」

彼の爆弾発言に、私も友人も顔を見合わせてしまった。

「なんだか、突然で、びっくりしたけど、
 まずは、良かったんじゃない!?  おめでとう!!」

友人は祝福してくれたが、私は戸惑うばかり。

「本当に、決めちゃったの?」
「本当に、決めて来た!!」

彼が言うには、配偶者控除を申請した時、
「結婚式は、いつだ?」
と、上司が当然のように尋ねて来たそうだ。

式の予定はない事を話すと、
「式は挙げた方がいい!! 任せろ」
と、業務命令の如く言い切られてしまったそうで……。

当時の営業先が、結婚式場だったこともあり、
上司が、そこの支配人と話をどんどん進めて……。

「○○会社さんにはお世話になっていますから、
 精一杯お手伝いさせて頂きますよ」

支配人さんは、破格の割引料金を提示して、
貧乏な私たちを応援してくれたそうで……。

「今がチャンス!!」とばかりに、
彼は、その話に飛び付いてしまったのだ。

こうして、4月の日曜日(友引)が、
私たちの結婚式と披露宴の日に確定。

1ヶ月もない準備期間に、てんてこ舞い!?

当日の式場で、
両家の親たちが初対面の挨拶を交わし、
慌ただしくも滞りなく、
挙式、並びに披露宴は終了。

普段は、酔いが顔に出ない酒豪の夫だが、
この日ばかりは、次々に酌を受け、頬は紅潮。
だいぶ、酔いが回っているように見えた。

新郎24歳、新婦26歳の春。

お節介な上司のお陰で、人前で、
私たちは、永遠の愛?を誓うことが出来た。

酒、人を呑む 「愚の骨頂」

人生とは、まことに、軽率なものだ。

「うちのカミさんは、大酒飲み!!」

新婚の頃、夫は、会社の先輩との酒席で、
私のことを誇大に触れ回っていたようで……。

大酒飲みの後輩が一目置く、
大酒飲みの奥さんとやらに
会いたくなってしまった先輩から、

「ぜひ、奥さんも、ご一緒に」と、お誘いが……。

先輩のおごりということで、
二つ返事で、待ち合わせの新宿の居酒屋へ……。

呑兵衛の夫には及ばないが、
酒豪の父のDNAを引き継いだ私は、いけるくちだ。

どんなに、飲んでも吐かない、
きれいな飲みっぷりが、私の自慢だ。

ただ、必要以上に、笑い過ぎるので、
それが、騒がしいと指摘されることは、たびたび。

とにかく、振る舞い酒を飲み放題で、
何軒か、はしごして……。
3人は、深夜の新宿の路上に躍り出た。

前方から、千鳥足のおじさんが、
右に左に大きく歩きながら、近付いて来た。

擦れ違いざま、そのおじさんはバランスを崩し、
夫にぶつかってきた。

「なんだ、バカヤロー!! どけ!! 邪魔だ!!」

謝るべき立場のおじさんが、怒鳴り出すと、
ほろ酔い加減だった夫の顔色が、変わった。

夫は、おじさんの胸ぐらをつかんでいた。
おじさんも負けていない。
わめきながら、拳を振り上げ、殴りかかって来た。

酔っぱらいの喧嘩に、野次馬が集まり始めた時、
先輩が叫んだ。
「逃げろ!! 早く!!」

私は、夢中で走った。
そして、迷子になった。

夫や先輩の姿が、見当たらない。

真夜中の路地裏に、
うら若き女が一人、取り残されてしまった。

携帯電話もない時代、
待っていても、事態は進展しない。

終電は、とっくに走り去っていた。
家に帰りたい一心で、タクシーに飛び乗った。

一足遅れて、夫もタクシーで帰宅。
お互いの無事を分かち合いながらも、
なぜか、腑に落ちない。

当時、私のタクシー代が7000円ちょっと。

「高いなぁ~、遠回りされたな。
 俺は近道を指示したから、
 6000円でお釣りがきた!」

夫は自慢げに語るが、やはり、腑に落ちない。

同じ場所(新宿)にいて、同じ家に戻るのに、
別々のタクシーを利用するのは、愚の骨頂。

「なんで、私の手を引いて、逃げなかったのよ!」

「ちゃんと、ついてくると思ったんだ! 
 まさか、反対方向に思いっ切り駆け出すとは……」

私たち夫婦に、あうんの呼吸はない。
この人とのこの先、大丈夫なのだろうか???

若干の不安を感じたが、
もはや、アルコール漬けの頭、熟考は苦手になっていた。

酒、人を呑む 「遠くの孫~1」

人生とは、まことに、偏狭なものだ。

しばらく、夫の両親とは音信不通になっていたが、
息子が生まれたことで、交流が再開した。

しかし、横浜と山口という遠距離、
わだかまりも残したままなので、
孫見せの帰省は、年に1度、あるかないかの間隔。

当時、親の家から車で20分程の所に、
夫の長姉夫婦が住んでいた。

義姉は、すでに女の子を2人産んでいた。
その孫娘たちは、おじいちゃんに溺愛されていた。

うちの息子は、孫としては3番目。
でも、一応、内孫の男子なので、
少しは、歓迎されるかと思ったが……。

「遠くの孫は、懐かんから、
 近くにいる孫が、いちばんカワイイ」

そう放言したお義父さんは、正直者だが……。

普通のおじいちゃんは、
孫の前で、そんなことは言わないものだ。
お義父さんは、口が過ぎる。

わだかまりは解けることなく、
火種として、くすぶっていた。

息子が生まれてから、4度目の帰省。

義姉の小2の娘と、
うちの子ども(息子5歳、娘3歳)を連れて、
海水浴へ繰り出した。

子守りは、夫とお義父さんに任せて、
私は、松林の木陰に敷いたシートの上に座り、
荷物番をしていたのだが……。

お義父さんは、海辺と松林の間を
行ったり来たり、忙しい。

「のどが渇いた」と言っては、
水筒に入れて持参した焼酎を口に含ませていた。
 
アルコールが注入されると、
エンジンがかかり、孫たちの待つ砂浜へ……。

少し経つと、また、舞い戻って来て、
水筒を持って、ラッパ飲みの繰り返し。

私の視線が気になったようで、
決まりが悪そうに、つぶやいていた。

「これは、ワシの命の水だから、
 これを切らしたら、大変なことに……」

子ども好き、酒好きのお義父さんは、
よく遊び、よく飲んでいた。

この後、命の水が切れて、
本当に、大変なことになったのだった。

酒、人を呑む 「遠くの孫~2」

人生とは、まことに、理不尽なものだ。

日が傾いて来たので、海水浴はお開き。

子守りと飲酒の相乗効果なのだろうか?

家に戻ると、「眠たい…」と言いながら、
2階に上がったお義父さんは、
夕食の準備が出来ても降りて来ない。

孫たちが様子を見に行った。

「おじいちゃん、ベランダで寝てるよ~」

小2の孫娘の報告を受けたお義母さんは、

「酔いが醒めれば、起きて来るから。
 先に、食べ始めていいからね~~~」

夫も私も晩酌を始め、
子どもたちも、思い思いのおかずをつまみ、
賑やかに宴が進行。

と、その時、
テレビの音に、かき消されながらも、
2階の方から、「ドン、ドン」と、
何かを叩くような音が、かすかに聞こえた。

「オ~イ、オ~~~イ」と、
何かを呼ぶような声も、小さく聞こえた。

一同、お義父さんが目を覚ましたのだと思った。

でも、夕食会場の居間に降りて来ない。
不審に思った夫が、覗きに行った。

夫は、すぐに戻って来たが、
お義父さんは、2階から降りて来ない。

今度は、お義母さんが見に行った。

やっと、食卓についたお義父さんは、
箸を持つこともなく、ぶすっとしていた。
じっと、私の息子の方をにらんでいる。

「全く、とんでもない奴だ!! 許さん!!」

お義父さんが、声を荒げた。

5歳の息子も私も、
お義父さんが激昂する意味が分からず、
怖くて、夫にしがみついた。

酒、人を呑む 「遠くの孫~3」

人生とは、まことに、無謀なものだ。

2階のベランダでうたた寝していたお義父さんが
目を覚ました時、掃出しの窓は閉まっていたそうで……。

当たり前のことだが、
窓を開けて、室内に入ればいいのだ。

ところが、窓は開かない。
なんと、内鍵がかかっていたのだ。

お義父さんは、窓を叩いたり、
声を上げたりして、助けを求めたようだが……。

ベランダに閉じ込められているとは、つゆ知らず、
階下の居間では、賑やかに夕食が始まっていたのだ。

異変に気付いた夫が2階に上がり、
窓のカギを開けたのだが……。
締め出しを食らったお義父さんは、仏頂面。

食卓に着くと、お義父さんの犯人捜しが始まった。

溺愛する小2の孫娘が、こんな悪戯をするわけがない。
いちばんチビ助の3歳の孫娘(うちの長女)が、
犯人とは思えない。。。。。。。

残るは、我が家の5歳の長男坊のみ。

男の子=悪ガキ。
うちの息子の仕業に違いないというのが、
お義父さんの推理だ。

おじいちゃんに、問い詰められて、
息子は、きょとんとしている。

悪戯をした自覚が全くないのである。

お義父さんが執拗に、
うちの息子を犯人に仕立て上げるので、
堪えかねた夫が声を荒げた。

「誰が、窓のカギをいじったかは分からない。
 いずれにしても、たわいない子どもの悪戯だ。
 子どもたちが、怖がっているじゃないか。
 もう、誰だって、いいじゃないか。 
 みんな、じいさんの孫なんだから!!」

お義父さんは、腹の虫がおさまらない様子で、
酒をあおりながら、ぶつぶつ文句を言っていたが……。

途中で、話は脱線し、
今度は、自分の息子である、
私の夫の生活態度を責め始めた。

自分の家を持てず、嫁の実家に居候。
情けない息子だと、お義父さんは嘆き、毒づく。

夫が言い返すと、お義父さんも負けじと応戦。

「お前とは、刺し違える、覚悟は出来とる!!」

食卓を思い切り叩き、立ち上がったお義父さんは、
勢いよく押し入れの襖を開けた。

積まれた座布団の間から、短刀を抜き出すと、
その刃先を大きく振りかざして、夫を威嚇した。

こんな物を隠し持っていたとは……。

危な過ぎる。
酔っ払いに刃物だ。

私は、息子と娘を抱きかかえ、うずくまっていた。
目の前の出来事が怖くて、涙が止まらない。

と、その時、お義父さんが、私に怒鳴った。

「そんな所で、ぼさっと、泣いてないで…。
 親に歯向かう、あんたの亭主を止めるのが、
 あんたの仕事じゃろ!!」

とばっちりだ。
それに、こんな危険な親子喧嘩の仲裁なんて、
私には荷が重すぎる。

暴れる父親の手から、
夫が短刀を奪い取り、庭に投げ捨てると、

「出てけ! 今すぐ!!
 ワシの家から、出てけぇ~~~」

お義父さんが、わめき出し、
私たち家族4人は、夜、家から締め出された。

以前にも、似たような光景があったなぁと、
思い出し、悲しくなった。                        

その夜、タクシーを拾い、素泊まりの宿を探した。

夜中、5歳の息子は、持病のぜんそく発作に苦しみ、
持参した常備薬を飲むも、効果なく……。

朝が来るのを待って、
病院へ駆け込み、応急処置をしてもらい……。
新幹線に飛び乗り、家路を急いだのだった。

酒、人を呑む 「乱用」

人生とは、まことに、軽薄なものだ。

私の実家で、暮らしていた頃の夫は、
サザエさんちの「マスオさん」のようだったが……。

波平のような父はいなく、物静かな母だけなので、
夫の暮らし振りは、気楽なものだった。

仕事に油が乗っていた夫は、
家事や育児に縛られることもなく、会社人間だった。

接待酒で、はしご酒。
帰宅はタクシーで、午前様の日々。

会社の経費での飲食が大半のようで、
後は、上司のおごりと聞いていた。

だから、クレジット会社から、
夫宛の封筒が届くとは、思いも寄らなかった。

胸騒ぎ!?は、的中。
請求書には、「パブ○○ 7月利用分、約3万4千円」

「会社の仲間と行ったんだけど、
 みんな、現金の持ち合わせがなくて……。
 俺が、カードで立て替えたんだ。 
 引落しに間に合うよう、入金しておいてね」

夫は、悪びれる様子もない。

当時、夫の小遣いは月3万円。
仕事は、外回りの営業。

急にお金が必要になった時、
小遣いだけでは心細いからということで、
クレジットカードを作ったばかりだった。

「カードを使うことはないと思うけど、
 持っていれば安心。お守り代わりだよ」

そんな夫の言葉を信じた私が、甘かった。
 
「8月利用分、9月利用分、10月利用分」と、
3万円超えの請求書が毎月届くようになり……。

「11月利用分、約12万円」で、私は平静を失った。

明らかに、おかしい。
こんなに、入れ揚げて……。
いかがわしい店に決まっている。

夫の言い草が、これまた、馬鹿げている。

「この店で、みんなが、
 俺の誕生日を祝ってくれたんだ」

何が、お祝いだ!!
誕生日のプレゼントひとつ頂くこともなく、
ドンチャン騒いだあげくの支払いは、全て夫だ。

酔った勢いで、気が大きくなり、
こんな形で、カードを乱用するとは……。

回収の苦手な夫は、
今までの分も、おごりのままのはず。
酒は、金銭感覚を狂わす。

貯金を解約し、支払いに充て、
ついでに、クレジットカードも解約した。

年が明けて、夫宛ての年賀葉書には、
律義な後輩の添え書きが……。

「今年も、パブ○○に連れて行って下さい」

腹立たしさが、ぶり返してしまった。

幼い子ども2人抱え、安月給で家計は火の車なのだ。
そんな店で、豪遊している場合ではないのだ。

同僚や後輩たちのおだてに乗って、
結局、30万円近くが、泡と消えて行った。

かれこれ、20年以上も前の苦い思い出だ。

カードの乱用は、カードの没収で、
それ以上の深みにハマることなく解決できた。

しかし、アルコールの乱用は、根が深い。

明らかに飲み過ぎているので、体に毒だからと、
酒を取り上げても、隠しても、捨てても、
いつの間にか、ちゃっかり、飲んでいる。

昔も今も、酒の飲み方だけは、変わっていない。

酒、人を呑む 「無防備」

人生とは、まことに、物騒なものだ。

夫に転勤の話が、舞い込んで来た。

新しい土地で暮らすことへの不安と期待感。
家族4人で、千葉県柏市へ引っ越した。

夫は、営業所の新所長として、
あちこちに顔を出し、元気に飲み歩いていた。

とにかく、酒さえあれば、ご機嫌な夫。

とことん飲むので、
帰りは、いつも、午前様だった。

その夜、夫からの電話は、

「カバン、盗まれたぁ~~~。 
 事情聴取中だから、遅くなるから~~~」

なんとも、物騒な話だ。

さんざん、はしご酒した帰り道、
通勤用の自転車を引きずりなら、ラーメン屋へ……。

ラーメンを食べ終え、店を出ると、
自転車の前かごに入れてあったカバンが、
こつ然と消えていたそうだ。

貴重品が入っていなかったのが、不幸中の幸い。
でも、仕事で使う書類を紛失してしまったので、
近くの交番に、被害届を出しに行ったが……。

酔っ払いの説明は、分かりにくかったようで、
お巡りさんは夫と一緒に現場へ。

「カバンは、どこに置いたのですか?」

「だから、自転車の前かごに……」

お巡りさんに尋ねられ、
自転車の場所を指差すも、その指先に自転車がない。

夫が、交番に行っている隙に、
夫の自転車は、誰かに乗っ取っられてしまっていた。

重ね重ね、ついていない。。。。。。

夫は、混乱している頭で、
カバンと自転車の盗難届を出したのだった。

赴任地の治安の悪さにガッカリ。。。。。

が、後日、
盗まれたカバンは、無事に戻って来た。
現場から遥か離れた道端に捨てられていたそうで……。
親切な人に拾われ、警察に届けられていた。

悪い人ばかりではなさそうだ。

そもそも、、
カバンは手に持って、店に入ればいいことなのに……。
自転車は、カギを掛けておけばいいことなのに……。

酒量が増すと、判断能力は激減する。
酔っ払いは、無防備だ。

これじゃあ、命さえも、落としかねない。。。。。。

酒、人を呑む 「醜態」

人生とは、まことに、滑稽なものだ。

夫の転勤で、広島に引っ越した。
社宅がなかったので、
会社の方で、民間のアパートを借り上げてくれた。

敷地には、2階建て4世帯用の建物が、
対面する形で、2棟建っていた。

私たち家族は、A棟の2階に入った。
台所の脇の窓からは、
入居者用の駐車スペースが見下ろせた。

当時、中学2年の息子と小学5年の娘は、
朝、玄関を出た父親が車に乗り込むのを、
その高窓から眺めて、「いってらっしゃ~い」
と、手を振るのが日課だった。

夜は、車のヘッドライトで、高窓が照らされると、
「パパが帰って来た!!」と言って、
やはり、窓から顔を出して、手を振るのであった。

子どもたちにつられて、私も窓を見る癖がついていて……。

その日の朝は、日曜日だった。
休日なので、家族は皆、朝寝坊していた。

何気なく、カーテンを開け、駐車場の方に目を向け、
その異様な光景に驚くと同時に、吹き出してしまった。

夫の車の隣に駐車している車のすぐ脇に、
黒い革靴が片方転がっていて、その先に、もう片方が……。

また、その先には、靴下やネクタイが散らかり、
またまた、その先には、背広、ズボンが脱ぎ捨ててあった。

車の持ち主は、対面するB棟に住む、
30代半ばのご主人で、
彼の住まいの方向に、落し物が点々と続いていた。

相当、酔っ払っていたようだ。
彼には、車のドアが家のドアに思えたのだろう。

起きて来た夫に、その光景を見せると、
「酒に酔っても、俺は、あんな無様な事はしない」
夫は、勝ち誇ったような言い方をしていた。

お昼近くになって、
落し物に気付いた奥さんが、慌てて拾い集めていた。

飲酒運転の罰則が今ほど厳しくなかった時代、
危険運転を憂うより先に、
お粗末な醜態を笑ってしまったが……。

事故もなく、帰り着いたから良かったものの、
運転者のモラルのなさは、言語道断だ。

このご主人、酒に呑まれていたようで……。

ある日の深夜、我が家の玄関ドアを開けたくて、
ドアノブを引っ張ったり叩いたりと、物騒な音を出してくれた。

同じような造りの建物だったので、
うっかり自分の家と間違えたようだが……。

そうとは知らず、
真夜中、玄関前に不審者が……で、
こちらは、飛び起き、緊張が走ったのだ。

息子のバットを握りしめた夫が玄関ドアを開け、
「何してるんだ!!」と怒鳴りつけると、
ろれつの回らない赤ら顔のご主人が、戸惑っていた。

まったく、人騒がせな酔っ払いだ。
あのご主人は、大丈夫なのだろうか。

同じ酒飲みでも、自分の方がまともと言っていた夫は、
その後、横浜に戻り、アルコール依存症の診断を受けた。

私の知っている失態の数々、
知らない失態の数々を重ねて、
夫は、心まで酒に呑まれてしまった。。。。。。
プロフィール

小吉

Author:小吉
相棒の発症のおかげで、
加減して飲むことを学習。
依存症予備軍!?
猫舌の呑助です。。。。。

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