唐突だった。
「9月3日、有休取ったから。 日・月で旅行しよう。
行きたい所に、予約入れておいてね」
そんな話を前々日の夜に切り出されても……。
しかも、日帰りではなく、泊まりだなんて、
いったい、何を考えているのだろう。
温泉とご馳走だけで、我慢できる夫ではない。
だから、アルコール依存症の入院治療後は、
あえて、宿泊の話題は避けて来たのだ。
それに、計画していないから、予算もない。
「お金ないから……」で、終わりにしようと思ったら、
「金はあるから!!」と押し切られてしまった。
隠れ飲酒後の家での不始末を思うと、
宿での品行も……と、気が重くなる。
でも、私の休みに合わせてくれた、
夫の配慮を無駄にしては、申し訳ない。
「旅の恥は掻き捨てる」と開き直り、旅に出た。
宿の夕食時、
夫は、遠慮がちに、冷酒をちびちびと飲んでいた。
先に、酔っ払った方が勝ち!!
私たち呑兵衛夫婦の、過去の飲酒場面が頭に浮かび、
私は、率先して酒をあおった。
どちらか一方が酔いつぶれてしまうと、
残された方は、酔いが醒めて来て、
酔っ払いの動向を見守るような雰囲気になるのだ。
夫の醜態を防ぎたい一心で、
「今宵、私の天下!!」と、ばかりに、
束の間の上げ膳据え膳を楽しませて頂いた。

夫は、楽しかったのだろうか。
温泉風呂もそこそこに、部屋で寝転んでいた。
観光地でも、イスを見つけては、座って休んでいた。
往復の長距離運転で、
かえって、疲れが増したようにも見える。
命がけの旅行だ。
なんだか、
思い出作りを急いでいるように思える。
飲み続けることを選択している夫の生き方を
応援する気にはなれないが……。
夫が、本気で助かりたいと手を伸ばした時、
その手が届く所にいたい。。。。。。。
希望は簡単に捨てちゃいけないと、思った。
最近、夫の睡眠障害がひどい。
酒と併用?している睡眠導入剤も効果なく、
2時間位で目覚めてしまい……。
トイレを探し回り、用を足すと、
なぜか、素っ裸になっている。
昨夜、洗面所で、全裸の父親と対面した息子は、
「風呂に入るの?」と、問いかけていた。
「おう」と返事しながら、
夫は、ふらふらと台所まで歩いて行き、
そのまま寝転んでしまった。
息子が、父親のパンツを拾って持って来たが、
すでに、爆睡? 反応なし。
娘が家にいなくて、良かった。
こんな姿を見たら、どんなにか悲しむことだろう。
夫の頭の側に、シャツとパンツを置き、
全裸の身体に、タオルケットを被せた。
「全裸」がキーワードになって、人物が浮かんだ。
全裸で公園にいたSMAPの草彅剛さんは泥酔していた。
民家の軒先に全裸で倒れていた、
尾崎豊さんも深酒していたらしい。
酒焼けで、体が熱いのだろうか。
熱を振り払うために、服を脱ぎ捨ててしまうのだろう。
彼らも、「アルコール依存症?」と、勘ぐってしまった。
草彅さんは、あれ以来、酒を断って、
アルコールの害から身を守っているそうだ。
夫は、アルコールの害を百も承知の上で、
まだ、縁を切れずに、ぐずぐずしている。
最近は、ウイスキーの小瓶1本で、
簡単に泥酔するようになってしまった。
肝臓がだいぶ悪くなっているのだろう。
アルコールを分解できていないようだ。
夫を見ていると、
このまま具合が悪くなり、倒れてしまっても構わない。
むしろ、そうなることを
積極的に望んでいるような立ち振る舞いだ。
病気が、大手を振って、夫の身体を支配している。
これじゃあ、病気の天下だ。
女、子供の分際では、太刀打ち出来そうもない。。。。。
「もう、底つきでしょう」と、家族はお手上げなのに、
夫は、まだまだ暴走が止まらない。。。。。。
「依存症者の70%が、幼児期に、
愛情の欠けた両親に育てられた」
そんな調査報告もあるという一文を目にした時、
「やっぱり。。。。」と思ってしまった。
夫は、両親を快く思っていない。
父も母も、仕事に出ていた。
その疲れも手伝って、家では二人とも不機嫌。
毎晩、些細なことで夫婦は怒鳴り合い……。
それは、父親が酔い潰れて寝てしまうまで続き、
子どもにとって、最高に居心地の悪い家庭だった。
高熱が出て、苦しかった時も、
親は夫婦喧嘩の真っ最中。
7歳の少年は、一人で氷枕を用意して、
布団にもぐり、じっと耐えた。
親が共稼ぎでも、生活は苦しく、
玩具もお菓子も買ってもらった記憶がない。
もちろん、誕生日を祝ってもらったこともない。
貧乏ひま無しの親との間に、
楽しい思い出は、何一つ無かったと言う。
夫は、自分の生い立ちを多くは語らないが……。
酔いが回って、こぼれ出た夫の言葉を繋げていくと、
彼の育った環境が偲ばれ、胸がつまった。
夫の記憶は幼児期ではなく、学童期だが、
両親の愛情いっぱいとは言い難い。
依存症の下地は出来ていたのかもしれない。
父親の死から10年経ち、
ひとり暮らしの母親は、今春、痴呆で施設に入居。
田舎の実家は、廃屋になった。
末っ子長男の夫の心中は、如何ばかりか……。
親のこと、自分の身体のこと、
つらい現実が、病気に拍車を掛ける。
酒以外に憂さを晴らす方法が見つけられず、酒に走る。
「アルコール依存症」を発症した今の身体では、
二度と「普通に飲む」ことは出来ないのに……。
強烈な飲酒欲求の支配下で、飲酒が止まらない。
夫は、身体の限界に挑み続けている。。。。。
最近、夜になると、憂鬱になる。
夫の中途覚醒に付き合わされるのかと思うと、
こちらの方が、不眠症になりそうだ。
隠れ飲んでいる寝酒の悪影響が半端ない。
だいたい、90分で目覚めてしまい、
壁や扉や家具に体をぶつけながら、
トイレを求めて、毎夜、家の中をさまよっている。
私は夫の用足しを見届けてから、寝ることにしている。
時計を見ると、夫が目を覚ます時間まで、
まだ、30分ほどあった。
その時、突然、
夫の部屋から、大きな歌声が聞こえてきた。
不審に思って、覗きに行く。
夫は、ベットの上で、仰向けに寝ていた。
その目は、しっかり閉じているのに、
口だけが、異様に活発に動いていた。
「……あなたとわたし…仲良く遊びましょ……」
なんで、童謡「大きな栗の木の下で」なのか???
楽しい夢でも見ているのだろうか。
延々と熱唱していた。
これも、ブラックアウトの世界なのだろう。
騒音だが、そのうち終わると思い、無視した。
予想通り、90分間の睡眠で目覚めた夫は、
何事もなかったかのように、自室から出て来た。
「喉が渇いた。。。」
あれだけ、絶叫すれば、喉も干からびて当然。
水を勧めると、それには見向きもせずに、
夫は、ジャージに着替えて、家から出て行った。
「眠れないから、散歩して来る。。。。」
真夜中の散歩なんて、いい加減にしてほしい。
喉まで出かかった怒りの言葉を飲み込み、
「気を付けてね」と、平静を装った。
30分ほどして、
夫は、コンビニのビニール袋をぶら下げて帰宅。
缶チューハイ2缶と中華春巻き2個を取り出し、
「飲む?」と、誘われ、断れなかった。
私が飲まなければ、夫が2缶飲み干すことになる。
小さな部屋の薄明りの下で、あなたとわたし、
仲良く、飲酒してしまった。。。。。。
少量のアルコールは、寝酒になる。
私は、朝まで、ぐっすり眠れたが、
深酒の夫は、90分間のこま切れ睡眠で絶不調。。。。
酒は、取扱い厳重注意だ。
乱用した夫を見ていると、
つくづく、酒は魔物だと思う。
つき物が落ちるのを願うばかりだ。。。。。
具合が悪いから、早めに床に就いたはずなのに、
1時間足らずで、夫は起きて来た。
そして、今夜も、また始まった。
「散歩に行く」
明らかに酩酊状態なので、
「今は、やめた方がいい。
もうひと寝入りしてから、行こうね」
優しくいさめたが……。
言い出したら聞かない、酔っ払いだ。
玄関の壁にもたれて、かろうじて立ちながら、
夫は、手のひらを差し出した。
「自転車の鍵、貸して。。。」
散歩なら、自分の足で行けばいい。
今年の正月早々の昼時、
夫は、自転車でひっくり返って、怪我をした。
夜間、我慢できない激痛で病院に駆け込み、
散々な目にあったのだ。
私の脳裏に不安がよぎる。
「お酒飲んでいるでしょ。
自転車には乗れないからね」
夫は不服そうな顔だったが、
言い返すことなく、家を出て行った。
おそらく、近くのコンビニで、
ウイスキーの小瓶を買って、戻って来るのだろう。
高を括っていた。
遅い。遅すぎる。
夫が家を出たのは、夜9時半頃だった。
1時間たち、2時間たち、
とうとう、深夜12時を回った。
夫の携帯電話は、部屋に置きっ放しだった。
いったい、どこへ行ってしまったのだろう。
捜しようがない。
朝まで帰らなかったら、「捜索願いを出そう」
最悪を覚悟する。
午前2時近く、
勢いよく玄関を開けて、夫が戻って来た。
やっぱり、千鳥足。
しかも、ドロだらけ、キズだらけ、アザだらけ。
よたよた歩いて、倒れて起き上がりの繰り返しで、
やっと帰って来たのだろう。
こんなに、酔っ払っていて、
よくぞ、家にたどり着けたものだ。
帰巣本能!?に、感心してしまった。
夫は布団の上に倒れ込み、寝てしまった。
夫が持ち歩いていたポシェットには、
飲みかけのウイスキーの小瓶が入っていた。
余計な事、やってはいけない事とは思ったが、
ウイスキーの小瓶をそっと抜き出し、捨てた。
もう、これ以上、飲んでほしくなかった。。。。。
病気の身体が、酒をどんどん飲ませている。
四六時中、
酒のことが頭から離れないのだろう。
2年前、アルコール依存症の入院治療を受けた夫は、
自身の病気の再発に気付いているはずだ。
病気を甘く見ていたのだ。
早めに手を打たなかったため、病気は悪化の一途だ。
今では、
病気に立ち向かう気力は失せて、諦めてしまっている。
どうしたら、夫の考えが変わるのだろうか。
妙案もなく、堂々巡りが続く。。。。。
「俺、結婚する時、言ったよね。
50歳位しか生きれないと思うからって。
あの時、25歳になる年だったから、
あと、25年余りの結婚生活だけど、
それでも、いいかって、言ったよね」
突然、そんな話を切り出されても、記憶になかった。
「ごめん。よく、覚えていない。
もしかして、その時、酔っ払っていたかも???」
「お前も俺も、素面だったよ」
私は、昔も今も、人の話をろくに聞いていないようだ。
返す言葉がなく、黙ってうつむいていると、
さらに、夫は、話し続けた。
「もう、働けないよ。
体も頭も壊れてる。限界なんだ。。。。。」
「病気を治療すれば、楽になるから……。
身体からお酒を抜く治療から、やり直そうね」
「治らない。 無駄だよ。
さっきも、言っただろ。
人生50年でいいと決めて、生きて来たんだ」
11月、夫は52歳になる。
夫の中では、もう、人生は終わているのだ。
だから、断酒する必要がないらしい。
飲み続けることを正当化してしまっている。
かたくなに閉ざされた夫の心の扉は、
そう簡単には開かない。
「俺はダメだ。 酒も煙草も元通りさ。
お前は、俺が入院した日から、
ずっと、酒を飲んでいなかったの?」
「うん。願掛けだから。。。。」
「そうか。 酒との縁が切れていたのに……。
俺が、飲ませてしまったんだね。ごめん。。。」
謝られて、私は困惑してしまった。
娘の引っ越しを手伝った夜、
夫が用意してくれた酒を、私は、私の意思で飲んだのだ。
1年4か月振りに……。
私の身体の心配より、自分の身体を労わってほしい。
さっさと、
人生の幕引きなんてしないでほしい。
喘息持ちの息子が独立したら、
ペット可の家に引っ越して、
夫婦と猫一匹の暮らしを楽しもうねって、約束したのに……。
いちばん、猫を飼いたがっていたのは、夫なのに……。
最近、夫は猫のことを口にしなくなった。
「本気だ!!」と言っても、
そこにある「気」は、すぐに、気変わりしてしまう。
「決心した!!」と誓っても、
そこにある「心」は、やはり、心変わりしてしまう。
禁煙も失敗、断酒も失敗。
「気」も「心」も、ころころ変わり……。
目的を持たない夫は、
酔いの世界でふわふわ生きている。
相変わらず、こま切れの睡眠が続き、
最近は、深夜に目を覚ますと、
決まって台所に立つようになった。
冷蔵庫から、適当な食材を取り出して、
煮たり焼いたり炒めたりしている。
火の元が心配で、
私は、寝たふりしながら様子をうかがっている。
食卓に着いた夫は、舟を漕ぎながらの完食。
なんとも、異様な光景だ。
三度の食事では、「食欲ない」と食べ残すのに……。
真夜中の異常な食欲が不思議でならない。
隠れ飲んでいる寝酒の悪戯だろうか。
夫は、糖尿病があり、血糖値を気にしている。
連日の夜食は、体に悪いので、たしなめると、
「食べてないよ!!」と、夫はびっくり。
「覚えてないの!?」と、私もびっくり。
記憶がなくなっている。
無意識に動いていたということなのか。
自身の行動に不安を覚えた夫から、申し出があった。
「寝ぼけて、車運転したら、大変なことになるから。
朝まで、車の鍵、隠して置いてね。
夜中に、俺が欲しがっても、絶対、出さないで」
夫は鍵一式を私に預けて、就寝するようになった。
危険を覚悟した夫。
その覚悟だけは、変わらないでほしい。
公共施設で働いているので、応急手当の知識は必須だ。
業務命令で、3年ぶりに、「救命講習」へ参加した。
会場に派遣された消防士が、開口一番、
「皆さん、倒れている人を見かけたら、どうしますか?」
一応、前回も、講習を受けているので、
「119番通報し、意識があるか呼吸しているかを確認。
息をしていなかったら、心肺蘇生を試み、AEDを使う」
と、マニュアル通りの答えが出てきたが……。
それとは別に、
「倒れたのは、その人の寿命かな。
そういう、宿命なのかも。。。。。」
と、救命処置に消極的な、もう一人の自分がいた。
たぶん、夫を見ているからだろう。
もし、夫が倒れたら……。
消えかかった命を引きとめて、まだ、生き続けるようにと、
私は、手を差し伸べるだろうか。。。。。
助かった命で、
すっぱり、酒と縁を切って、生きていければいいが……。
成功者は、多くないような。。。。。。
また、酒に振り回されて、本人も周りも生き地獄だ。
人生後半、私に残された時間は、限られている。
つらい日々は、もう、いらない。
夫は、アルコール依存症治療に背を向けている。
このままだと、夫の人生のゴールは近い。
自身が希望する寿命を全うすることになるだろう。
夫の人生を決めるのは、夫だ。
回復した夫と余生をともにしたい気持ちもあるが……。
それは、私の願いであって、強要は出来ない。。。。。
それにしても、宿命なのだろうか。
夫の病状に一喜一憂しながらも、私は夫のそばにいる。
「そばに居合わせた人が救命処置をすることで、
助かる可能性が大きくなります」
消防士の熱い語り口に、
夫の回復を諦めきれない私が、ひょっこり、顔を出す。