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母と子

院内では、家族のための勉強会、
「家族会」が、月2回、開かれていた。

病院へは、電車とバスを利用した。

乗り初め、バスの車内は、
買い物や学校帰りの客で、ほぼ満席だったが……。
終点近くの「○○病院入口」バス停に着く頃には、
運転手と私だけになってしまうことが多かった。

その日に限っては、
赤ん坊をおんぶした若いお母さんが、
私と同じバス停で降りたので、意外だった。

きっと、親が入院しているのだろう。。。。。

炎天下、背中でむずかる赤ん坊のお尻を、
とんとん叩きながら、
母親は、足早に病棟へ消えて行った。


病気と闘う依存症者も大変だが、
その家族もまた、大変な思いをしているのだ。

ここで、この病院で、
どうぞ、病気が良くなりますように。。。。

あの母と子が見舞う患者の回復を
祈らずには要られなかった。
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家族会

家族会への参加は、強制ではないので、
毎回、多くは集まらない。

まず、医師や看護師の講義を聞いて、
アルコール依存症についての知識を深める。
次に、小グループに分かれて、懇談する。

医師を囲んで、車座になった時、
先程の赤ん坊連れのお母さんがいた。

各自、簡単な自己紹介をするので、
あの若い母親の見舞う相手は、
親ではなく、夫だったことが分かった。

初めて「家族会」に出席した彼女は、
夫のこれからを心配し、
不安な胸の内を医師に訴えていた。

なんで、夫がこんな病気になったのか。
側にいたのに……。
なんで、気付いてあげられなかったのか。
赤ん坊の世話に追われ、
夫のことは、ほったらかしだった。
だから、夫の病気は、自分のせいだ。
夫に申し訳なくて。。。。。。

母親の腕に抱かれ、
すやすや眠っている赤ん坊の服の上に、
ぽたぽたと、涙がこぼれ落ちていた。

彼女の苦しみは、私にも、思い当たる。

「……奥さんが悪いのではありません。
 お酒を飲んでしまうという病気なのです。
 だから、病気を治療すれば、飲まなくなり、
 体調も良くなって来るはずです。
 奥さんが、病気の直接の原因ではありませんが、
 奥さんの接し方は、
 病気の回復に大きく影響しますので……。 
 家族会で、勉強して、病気を正しく理解して……。
 大変でしょうが、
 ご主人の回復のために、頑張って下さい」
 
参加者は皆、自分へのアドバイスのように、
医師の話に耳を傾けていた。

「一人で長く喋ってしまい、申し訳ありません。
 。。。。ありがとうございました。。。。」

彼女の顔に、少しだけ、笑みが戻った。

「アルコール依存症から立ち直るには、
 断酒を継続する以外に道はない

飲まない環境を作るために、
家族の協力が不可欠なのだ。

勉強会に参加して、参考本も読破して、
知識は仕入れたが、
実践は、いばらの道に等しいような。。。。。。

夫は、アルコール依存症で、糖尿病を併発していた。

今、断酒し続ければ、
5年後の生存率は90%だが、
飲み続けていれば、
5年後の死亡率が70~80%になるそうだ。

断酒の有無が、大きなカギを握っている。

断酒を継続するための補助薬として、「抗酒薬」がある。
この薬と酒をいっしょに飲むと、酷い二日酔い状態になり、
死ぬような苦しい思いをすることに……。

「抗酒薬を飲んだら、酒を飲んではいけない」

そんな掟のような薬なのだ。

でも、掟破りは、何処にでもいるようで……。

「外泊で自宅に戻った夫は、
 私の目の前で、抗酒薬を飲んだのに……。
 その後、隠れて飲酒したみたいで……。
 うっすら赤ら顔だったが、全然、苦しそうじゃなかった。
 夫には、抗酒薬が効かないのでしょうか。。。。」

家族会の懇談の時、
医師に恐る恐る質問している中年女性がいた。

「人によって服用量が違うので……。
 ご主人には、適量ではなかったようですね。
 それより、外泊中の飲酒は、
 反省室に24時間入室になります。
 ご主人の名前と病室番号は……?」

医師は、メモを取っていた。

入院患者は皆、酒を断って、治療に専念しているのだ。
酒臭い息をばらまいて、
現場の雰囲気を乱してもらっては、迷惑なのだ。

後日、この話を夫に伝えると、

「反省室に入った奴がいたけど、
 すぐに出て来て、自主退院していったヨ。
 入院中なんだから、酒は我慢しなきゃ、ダメだろう。
 残念な奴だ。 要領が悪すぎる。。。。」

要領がいい、悪いの問題じゃないような気がする。

「入院中なんだから……」ということは、
「退院後」だったら、OKってことなの???


ちょっと、うがった見方をしてしまった。

夫は肝臓病があるので、「抗酒薬」は服用できない。
自助グループの「断酒会」も、参加する気はないようだ。

掟を持たない夫は、
何を頼りに、断酒を継続するのだろうか。。。。。

おサラバ

病室のカレンダーに丸印を付けて、
ずっと待ち焦がれていた、退院の日が来た。

血液検査の結果、
血糖値133  中性脂肪124  γ・GTP103

過去最悪のデータ、
血糖値457  中性脂肪2379 γ・GTP1474

を打ち立てた夫のものとは思えない、数値だ。
驚異的な回復ぶりである。

管理された病院食をとり、
院内の広い敷地を、朝昼晩と散歩し……。

激減していた体重も下げ止まり、
痩せ細った足にも、少しだけ筋肉が戻った。

季節が夏だったこともあり、
健康と見まがうほどに日焼けして……。

アルコールとニコチンの毒が一掃されると、
こんなにも、体調は良くなるのだ。

まさに、入院治療の賜物だ。

夫、49歳。
人生、まだまだ、これからだ!!

今まで、家族のために、
夫は、がむしゃらに走り続けてくれた。

酒を飲むことで、気分転換し、ストレス解消し、
仕事仲間とのコミュニケーションも円滑に……。
酒を飲むことで、数々の困難さえも乗り越えて来たのだ。

ただ、酒が強い夫の飲む量は、度を超えていた。
飲み出したら、酔い潰れるまで止まらない。。。。。

大好きな酒が、毒となって、
夫の身体を蝕んでしまったのだ。

私も夫も大酒飲みで、その総量は、
もう、一生分の酒を飲み干しているはずだ。

だから、これからは、
酒のない暮らしへとギアチェンジして、
健康第一で過ごして行くことにしよう。

「酒まみれの人生とは、おサラバだ!!」

私も「脱、酒」宣言をして、
飲まない環境作りに貢献すると決めた。 

背中合わせ

夫が入院する朝、私は娘からの手紙を預かっていた。

「病室に入ったら、パパに渡してね」

…………入院で、パパだけが、
大変な思いをするのは、かわいそうだから、
パパが戻るまでは、大好きなお菓子を我慢する。
元気になって、早く帰って来て……………

そんな内容の手紙だった。

私は酒断ち、娘は菓子断ちで、願掛けしたのだ。

夫は、入院記録用の大学ノートの表紙に、
娘の手紙を貼り付けて、
2ヵ月程の入院生活を無事終了したのだった。

「お帰りなさい。 退院おめでとう!!」

夕食には、娘の手料理が並んだ。
乾杯で、手にしたグラスの中身は、ウーロン茶。

いささか、盛り上がりに欠けるが、
夫の病状を思えば、アルコールは御法度だ。

退院後の自宅療養中、
夫は、自身のルーツを求めて、一人旅に出た。

横浜の自宅から、車を走らせ、
熊本にある、廃屋の生家へ……。

1週間の長旅。

これから、どう生きるのか。
覚悟を決めるために、必要な時間だったに違いない。

酒を飲むことが、生活の一部だった夫が、
「酒を断つ」という、現実を受け入れなければならないのだ。

アルコールが身近に氾濫する中で、
飲まずに生きる道を選ぶのは、至難の業だ。

夫は、断酒後、お菓子類の食べ方が半端ない。
今まで、苦手としていたケーキや、和菓子など、
甘いものもパクパク食べて……。

食の好みが、180度、変わってしまったような。。。。

父親の退院で、お菓子解禁になった娘と、
競うように、お菓子の食べ比べをしている。

飲めない寂しさを、
大量のお菓子で紛らしているようにも、見て取れる。

飲みたいのを我慢し続ける日々を送っていれば、
いつか、我慢の限界が来てしまう。
夫は、再発の影と背中合わせだった。。。。。

6割

2010年10月21日、夫は復職した。

経理のお姉さんの出産祝いと、
夫の快気祝い???ということで……。
11月上旬、合同の宴席が用意されていた。

夫は営業先から、車で、
宴会会場の割烹料理店へ直行。

今までの夫なら、はしご酒を繰り返し、
帰宅はタクシーで、午前様だったが……。

夫は、一滴も酒を飲まずに、早々に帰宅した。

手を伸ばせば届く所に、アルコールが溢れていたのに……。
よくぞ、思い留まってくれた!!

アルコール依存症の治療には、再飲酒がつきものらしい。
酒をやめ続けることが出来ないのだ。
全国的数値では、断酒成功率3割と低いそうだ。

夫が入院治療した専門病院では、
退院後の断酒率は高く、
6割が成功者との説明を受けたが……。

「半分近くは、失敗に終わっているんだなぁ~」
というのが、私の率直な感想だった。

12月になって、
夫は、お得意先の忘年会に顔を出す機会が増えた。
辺り一面、酒だらけ。。。。。

夫は、車で、会場へ行くことで、酒を断ってきた。

「なんか、不思議なんだ。
 一滴も飲んでいないのに、酔った気分になっちゃって。
 アルコールは、匂いだけでも、人を酔わせるのかなぁ~」

危険だ。危険すぎる。
夫は、酒に近づいてはいけない体なのに……。

酒のいる場所に、自分から飛び込んでいる。
飲まずに我慢できるのか、
身を以て、試しているかのように。。。。。


かろうじて、忘年会シーズンをクリアーした夫。

どうぞ、夫が6割の成功者の中に入りますように。。。。
祈りながらも、
夫の動向に、私は神経質になっていた。

挙動不審

アルコール依存症の一連の治療プログラムが修了し退院。
アルコールの影響による体の不調は快方に向かった。

しかし、飲酒欲求そのものは、なくならないので……。
酒に手を出さない工夫をして、
うまく折り合いをつけて行くしかないのだ。

飲酒欲求に対する「抵抗力」をつけて、
これからも、ずっと、飲まない日々を重ねて行く。。。。。

年末の酒席に参加して、
ノンアルコールビールで、禁酒をアピールする夫。

本物の酒に手を出さずに、過ごせた。
つまり、酒の誘惑に「抵抗」出来た!!

これは、落とし穴だった。

「病的飲酒欲求」は、とても強烈なのだ。
飲みたがっている自分に早く気付き、気分転換すれば、
再飲酒の危機を乗り切ることが出来る。

退院後の1か月、3ヵ月、半年、1年が要注意なのだ。

私の勤務先は、交代で、日・祝出勤があるので、
夫とは、休みが合わない時がある。

日曜の仕事を終え、夕方6時過ぎに戻ると、
いつもなら、夫は居間でテレビ観賞中なのだが……。
その日に限って、私が玄関ドアを開けるや否や、
息子の部屋から、夫が飛び出て来た。

挙動不審の訳は、すぐに理解できた。

留守にしている息子の部屋で、
空気清浄機が、勢いよく作動していたのだ。

煙草を吸わない私は、煙草の臭いに敏感だ。
部屋には、煙草臭が、ぼんやりと漂っていた。

夫は、アルコール依存症の入院治療中に、
チャンピックスという薬を飲用し、
禁煙にも成功したことになっていたのだが……。

「お医者さんと禁煙しよう」は、早くも脱落。

煙草は、飲酒を誘発する。
再飲酒への道は、開けていた。

退院から3ヵ月余り、
2010年12月下旬のことだった。。。。。

再発

年が明けて、2011年。
夫の近辺は、新年会ラッシュ。
酒は、無造作に置かれていた。

夫は、家族の前では禁煙禁酒を装っていたが……。

同じ話を何度も繰り返し、
ろれつが怪しいことが、しばしばあったので……。

どうやら、年末年始の休暇あたりから、
こっそり、煙草も酒も再開していたようだ。

その日の夕方も、散歩と言いながら、
外で飲酒していたように見えた。

酔いが眠気を誘い、夫は早々に布団の中へ……。
ところが、夜の11時過ぎに目を覚まし、
いきなり、着替え始めた。

寝ぼけている様子だったので、
「まだ、夜ですよ。 まだ、寝てて大丈夫ですよ」

私の声が聞こえているのか、いないのか。

うつろな目の夫は、
正気とは思えないことを口にした。

「眠れないから、ちょっと、ビールを飲んで来る」

その夜、夫は、ふらふらと出て行き、
深夜に、ふらふらと帰って来た。

元の木阿弥だ。。。。。

夫の飲酒を公認したくないから、
家の中に、酒の居場所を作りたくないから、

「これからも、私は、絶対、酒を買わない!!」

アルコール依存症は不治の病だと思う。。。。。

決定権

病気には、必ず、「再発」の可能性がある。
つまり、アルコール依存症には、
再飲酒が、つきものなのだ。

飲酒すれば、確実に、病気は悪化する。

でも、この病気は、何回か失敗しないと、
本当に断酒する気にはならないそうだ。

家族会での講義内容を記したノートを読み返し、
病院の売店で買った「アルコール依存症」の本を読み直し、
自分に言い聞かせる。

「飲み続けて死ぬことを選ぶのも本人の自由」

生きることも死ぬことも、決めるのは本人。
干渉したり、批判したり、監視したりと、
間違った世話を焼いてはいけないのだ。

飲む飲まないは、夫にしか決められない。
私に、断酒の決定権はない。

酒を飲むのは、夫がまだ病人のままだから。。。。。
夫も、辛いのだ。

夫が本気で断酒する日は、来るのだろうか。
その日まで、命が持つのだろうか。。。。。。

隠れ酒

夫専用の車は、通勤はもちろん、
夫の小部屋としても、使われていた。

昼寝したり、読書したり……。

休日、夕刻の夫は、何となく酔っているように見えた。
青空駐車場の車内は、隠れ酒には、格好の場所だ。

でも、私は、飲酒行為の有無をただす気にはなれなかった。

何で、夫は、私の前で堂々と飲まないのか。。。。。
隠れてコソコソ飲むことが、
アルコール依存症の特徴?だからだろうか???

以前、二人で毎晩、晩酌していた頃、

「お前は、飲み過ぎだ。
 体を壊すから、もう、酒はやめた方がいい」

夫は、私のことをいつも心配していたが、
体を壊したのは、夫だった。

酒がドクターストップになった夫の側で、
私だけが飲み続けることは出来ない。

ふたりで酒を断てば、
飲めない辛さを分かち合い、頑張れるだろう。

夫の具合が良くなるのなら、この先、一生、
酒ナシの人生でもいいと思っていたのに……。

夫は、私に内緒で、再び酒を口にしている様子。

夫が断酒をしている振りをしているのは、
私に酒を飲ませたくないからなのかもしれない。

酒浸りの日々が復活し、私の体がダメにならないように……。

そんなふうに、思えてしまい、
コソコソと飲んで、小さく酔っ払っている夫を
ただす気にはなれなかった。。。。。。

片棒

人込みに酔いやすい私は、一人での外出が不安で、
観たい映画があると、夫を誘っていた。

映画が期待外れで、
夫は、私の横で舟をこぐこともあったが、
文句は言わず、付き合ってくれた。

2011年2月、
映画の封切りを知らせるテレビCMが気になって……。
でも、夫に声を掛けることは出来なかった。

どうしても、観たかったので、
仕事がお休みの平日、黙って一人で出掛けた。

「毎日かあさん」
西原理恵子さんのベストセラー漫画を映画化したもので、
小泉今日子さんと永瀬正敏さんが夫婦役を好演。

アルコール依存症と格闘中の夫がいる、
家族の日常が描かれていて……。

見覚えのある病院風景は、夫の入院先だった。
あの病院で、回復を祈って、過ごしたはずなのに……。

激ヤセした体に坊主頭の永瀬正敏さん。
その迫真の演技に、夫の姿がダブり、
心揺さぶられ、涙が止まらない。。。。。

「酒飲みが、酒を飲めなくなったら、おしまいさ」

入院治療を受ける前、夫は、そんなことを言って、
せっせと、酒を体に流し込んでいた。

治療後、酒を飲んではいけない体と知っても、
酒と縁が切れず……。

飲まないで生きる道は、生きにくい。。。。。

夫は、夫の好きなように生きればいい。

こんな私の考えが、
夫を依存症にさせているのかもしれない。
私は、酒飲みの片棒を担いでいる。

あんまり

桜花の季節、
会社の親睦会があるので、夕食は不要との事。

毎年恒例の花見酒。
夫が、酒席へ参加する。

「あんまり、飲まないから……大丈夫だよ」

これは、夫の飲酒宣言だ!!
明らかに、飲む気、満々である。

もはや、
アルコール依存症の入院治療を受けたことは、
すっかり、他人事のようになっている。

「ぜったい、飲まないから……大丈夫だよ」
と、言って欲しかった。。。。。。

「あんまり」って、あんまりだ。

嘆いてみても始まらない。
夫の行動を指図しても、
夫の神経を悪戯に苛立たせるだけ。

全て、成り行きに任せるしかないのだけれど……。
ため息が止まらない。気が重い。。。。。。

会社の人たちは、夫がアルコール依存症の治療のため、
約3ヵ月間休職し、入院療養したことを知っている。

酒で身体を壊したことは百も承知の上で、
夫を酒席に誘ってくれる。

「また、酒が飲めるようになって、よかった」

飲み仲間は、そんな風に、思っているのだろう。

アルコール依存症は、
酒をコントロール出来なくなるという、
脳の障害の一種なのだ。

その回復への道は、「断酒」しかない。
もう、二度と普通に飲むことは出来ないのだ。

周りから、理解されない病気だ。。。。。

「酒好きが、好きな酒を飲んで、騒いでいる」
そんな風にしか、見えないのだろう。。。。。

はしご酒に付き合わせた後輩を連れて、
深夜、夫は帰宅した。
二人とも、泥酔状態。
そのまま、仲良く寝入ってしまった。

この後輩さんの飲酒傾向が、
若い頃の夫に似ているように見えた。
。。。。あぁ、ここにも、
アルコール依存症の予備軍がいる。。。。。

父親ゆずり

熊本で生まれ育った夫の父親は、
焼酎を肌身離さず持ち歩く、酒飲みだった。

酒癖が悪く、夫婦喧嘩が絶えない家庭で、
夫は育ったと言っていた。

東京の私大に進学し、家を出ると、
卒業後も、そのまま、東京で就職し、結婚した。

「父ちゃんみたいに、なりたくない!!」

夫が父親を嫌うので、
遠方であったこともあり、あまり交流がなかった。

2002年、3月、
父親は、運転していた車を駐車するため、
いったん停車した所で、意識を失って……。
助手席の母親が慌てて救急車を呼んだそうだ。

その時、アルコール臭が、かすかに漂っていたらしい。

病院へ行ったが、脳の血管が切れて手遅れ……。
半日後に亡くなった。

毛嫌いしていた父親の葬儀を済ませると、
夫は、何かが吹っ切れたようだった。

今、思い返せば、
この頃から、夫の酒の飲み方が荒くなったのだった。

「眠れないから。。。」と、深酒するようになり、
酒で身体がどんどん壊れていった。

目覚めの一服。そして、迎え酒。
父親ゆずりの飲み方だった。。。。。

退院後、「眠れない」は、
睡眠導入剤を数種類処方してもらっているので、
大丈夫なはず。

なのに、隠れ酒が止まらない。。。。。。

「飲む飲まないは、全て、依存者に任せて、
 一切タッチしないようにする

夫が、再び「どん底」を体験し、
本気で酒をやめる日が遠くないことを祈りながら……。

私は、傍観者の立場を続けていた。

娘の引っ越し

2011年、晩秋、
突然、娘が家を出て、自活すると言い出した。
4月に入社して、半年余り。
娘は、こつこつと小金を貯めて、
職場近くの部屋を借りる計画をこっそり進めていたのだ。

これに賛同した娘の彼氏さんが、
自分も実家を出て、「一緒に暮らす」と決心したので、
娘のひとり暮らしは、ふたり暮らしへと、
計画変更になってしまった。。。。。

親が反対した所で、諦めるような娘ではない。

若い二人の部屋探しは、夫を巻き込み……。
部屋が決まると、娘の荷物は、夫が車で何回も運んだ。

最終荷物を運び入れ、
購入した組み立て式の家具を数点、作るのを手伝い、
終わった時は、夜10時を回っていた。

娘を新居に残して、夫と私だけが、自宅へ帰る。

その帰り道、夫は、自宅近くのコンビニで車を停めると、
缶ビール1個と焼酎のワンカップ2個を買って来た。

片道、車で1時間ちょっとの距離だが、
親元を離れた娘の無事を祈らずにはいられない。

家族がひとり減った寂しさもあり、
夫は、飲まずにはいられないのだ。

隠れて、コソコソではなく、
今日だけは、夫婦で飲みたい。。。。。

私が遠慮すれば、
夫の立場がないように思えて、
夫に勧められるままに、ワンカップを1個飲み干した。

夫の入院以来、
願掛けの酒断ちを続けていた私にとっては、
1年4か月ぶりの酒だ。

以前は、美味いと思って、がぶがぶ飲んでいたが、
その夜の酒は、喉に沁みて、苦いだけだった。

喜怒哀楽、私たち夫婦には、酒がついて回る。
昔から、そして、発病しても、今もなお。。。。。

暗雲

娘の引っ越し祝いで、一時、飲酒したが……。

自宅での酒解禁は、大量飲酒につながるので、
何としても、阻止したい。。。。。

食卓に「アルコールは不要」を貫き、
夫の隠れ飲みにも、そ知らぬふりを通した。
                                 
2012年、元旦、
ささやかなおせち料理は並べたが、
もちろん、酒の用意はしなかった。

新年の朝、夫は、日本酒のワンカップを
遠慮がちに、私に差し出した。

夫が発病する前のお正月の風景は、
朝酒で乾杯が恒例だったが……。

もう、飲酒してはいけない体なのに、
まだ飲めると思い込んでいる夫。

そんな夫を責める気にもなれず、
私は、重い心で、お燗した。

夫が口にするアルコールが、
ちょっとでも、少なくなるよう……。
私は、新年早々、憎い酒を進んで飲んだ。

そんな小細工は、何の問題解決にもならない。

何とも、暗雲が垂れ込める、
一年の幕開け!?だった。

そして、その通りのことが起こった。。。。。

初笑い

首にクサリでも付けて、家に閉じ込めて
おくことが出来たら、どんなにか、気が楽だろう。。。。。

正月3日の昼過ぎ、
夫は自転車に乗って、一人で出掛けた。

「駅前の商店街へ行く」と言っていたが……。

20分と経たないうちに、舞い戻って来て、
荒々しく、玄関ドアを開け、叫んでいた。

「ケガしたぁ~~~」

玄関先で、ブーツが脱げずに往生している夫の足から、
無理矢理、靴を外し……。

ヨロヨロしている夫を部屋の中に引きずり入れた。

坊主頭の天辺から、鮮血が流れていた。
右肘からも血が……。

でも、夫が顔を歪めて痛がっていたのは、
右足の指2本、中指と人差し指だった。

自転車通行可の歩道を走行中、
ふらつき、標識にぶつかり、コケたそうだ。

意識を失って、倒れていた所を、
通行人の男性が声を掛け、介抱してくれたそうで……。

車道に倒れていたら、車に引かれていたかもしれない。

「病院に行こう」と、私が勧めても、
「大丈夫。寝てれば、治るから。。。。」

夫は、事の重大さを分かっていないので、
頭の傷口をデジカメで撮って、確認させた。

「血が出ているんだから、大丈夫。
 内出血じゃないから……心配ない」

病院行きを強く拒むので、様子を見ることに……。

ガーゼを当てて、テープで押さえるも、
坊主頭の毛が邪魔して、ずれてしまい……。
あちこちに、血が垂れて、汚れるので……。
手ぬぐいをあてて、ほおかぶりにしてみた。

P1050017.jpg

なんか、こそ泥みたい!?と、夫は嫌がったが……。
見た目より、止血が優先だからと、我慢してもらった。

それにしても、手ぬぐい姿、ひょっとこみたいで……。
夫の前で、
吹き出しそうになる笑いをこらえるのが大変で……。

悲しすぎる、今年の初笑いだった。

お正月にかこつけて、昼間から、酒を隠れ飲み、
しかも、自転車を飲酒運転!!

自業自得なのだ。
夫には、猛省していただきたいものだ!!

手ぬぐい姿に目が慣れてきた、その日の夜、
笑っている場合ではない、状況へ……。

待ち時間

「たぶん、折れてる。。。。」

夫は、足指の痛みばかり訴えていたが、
頭の傷も、出血が止まらない。
ガーゼは、すぐに血で染まった。

「やっぱり、病院に行こう、ね」
「大丈夫。 明日、行く」

夫は、かたくなに病院行きを拒んでいた。

ところが、夜8時近く、息子が仕事から戻ると、
「今から、病院に行く。車で連れて行ってくれ。。。。」

長い夜を思うと、耐えられそうにない痛みなのだろう。

救急医療情報センターに問い合わせ、
息子の運転で、紹介された病院へと急ぐ。

病院に着くと、夫は車いすに座らされ、
診察室前の廊下で待つようにと案内された。

「トイレに行きたい」と、夫が言い出したので、
息子が車いすを押して、連れて行った。

なかなか、戻らないので、不審に思っていたら、
息子だけが、私の所に戻って来た。

そして、小さなウイスキーの空き瓶を2本、
そっと、私に差し出した。

どうやら、夫は、家を出る時、
ジャンパーのポケットに小瓶を忍ばせたらしい。

事もあろうに、病院のトイレの個室で、
その原液をイッキ飲みしてしまったのだ。

「今、洗面台で、ゲーゲー、血と一緒に吐いている」

そう告げると、息子は父のいるトイレに向かった。

呆れて物が言えない。
酒は、痛み止めの麻酔ではない!!

夫の目は、うつろに泳いでいた。
どこから見ても、酔っ払いだ。

私も息子も、
やるせない思いばかりが募る待ち時間だった。

痛み止め

「あの~、失礼ですが……。
 ご主人様、お酒を飲まれてますよ、ね」

年配の女性看護師が遠慮がちに聞いて来た。
酔っ払いの付添いは、肩身が狭い。。。。。

正月の3日ということで、
大目に見てくれている様子が有難かった。

夫は、脳のCT撮影を終え、
脳神経外科の診察では、異状なし。
頭の傷口は、大きなガーゼでフタされ、
ひと安心したのも束の間。

足の診察は整形外科へ回され、
また、順番を待つことに……。

その間、救急車が3回、急患を運んで来たので、
夫の番は、どんどん後回しにされてしまった。

待ちくたびれた夫は、「早くしろよ!」と、騒ぎ出し、
車いすから立ち上がり、勝手に診察室に入ってしまった。

慌てて息子が父親を連れ戻し、
車いすに座らせると、「帰る、帰る」と、騒ぎ出し……。

他の患者や家族たちは、静かに待っているのに、
夫だけが、ろれつが回らないお喋りを繰り返していた。

たちの悪い酔っ払いだ。
自分のことしか眼中にない。

夫をなだめて、すかして、くたくたになった頃、
やっと、整形外科の診察開始。

レントゲンの結果、足の痛みは指の脱臼と判明。
外れた関節を、医者が思いっきり、引っ張ると、

「イ~~・・・・・」

酒は、麻酔の役目を果たさず……。
夫は、半分出かかった悲鳴を噛み殺していた。

会計で法外な医療費を支払うと、
優に午前0時を回っていた。

帰路の車内で、夫が私に言った。

「財布を持って来なかった。 500円、貸して!」
「何を買うの?」

私の質問には答えず、今度は息子に話しかけていた。

「コンビニで車を停めて」
「コンビニには、寄らないよ」

息子が優しい口調で答えると、夫は黙ってしまった。

痛みはあるが、
ケガの処置を終えたことで、ほっとしたのだろう。

痛み止め代わりに、
また、酒を飲もうという魂胆が見え見えだ。

いつでも、どこでも、どんな時でも、
飲酒へと結び付けることが出来る夫
が、
哀れでもあり、可笑しくもあり……。

私は、心の中で、泣き笑い。
厄介だけど、
家族なんだから、受け入れるしかないんだなぁ。

タイムカプセル

正月明けから、
夫は、隠れ飲酒のせいで体調が思わしくなかった。

痩せ細った体には、寒さも人一倍こたえて……。
かろうじて、出社していたが、仕事にならない様子。

そんな時、春風に乗って、一枚の葉書が舞い込んだ。
小学校の同窓会開催の知らせだ。
卒業後40年で、
当時のタイムカプセルを掘り起こすイベント付き。

今まで、夫は、遠方であることを理由に、
一回も参加したことがなかった。

でも、この「タイムカプセル」には、心が動いたようで……。

「これが、最後の長距離ドライブだ。。。。。」

2012年、ゴールデンウィークの9連休を利用して、
夫は、片道1000キロ弱の旅に出た。

夫の心に区切りを付けるかのような旅のドライブに、
息子が寄り添い、交代で車を走らせた。

連休中も仕事が入っていた私は、
父子の旅の安全を祈りながらの留守番。

タイムカプセルは、高さ40㎝ほどの陶器の壺で、
蓋が割れていて、中に雨水が溜まっていたそうだ。

中身の文集や作文が、水浸し状態。
まずは、干すことに……。

皮肉なものだ。
少年は、40年後、酒浸しだ。

乾いた文集の紙は、シミだらけ、一部は溶けていて……。
元には戻らない。

夫の体も、然り。。。。。。
アルコールの痕跡は消えない。

夢物語

今、抱えている問題は、取りあえず忘れて、
夫は、故郷での同窓会を楽しんで来たようだった。

小学校の校庭でタイムカプセルを掘り起した後、
夜は、ホテルでの宴会が用意されていた。

夫は、事前に、そのホテルに部屋を予約し、
酔い潰れてもいいように、態勢を整えていた。

会場には、同級の卒業生、男女20人が集まったそうだ。

長い年月のご無沙汰に、酒が一役買って……。
40年前に、タイムスリップするのに、
多くの時間は要らなかったようだ。

思い出話は尽きることなく、
次回の再会を誓って、お開きとなったそうだが……。

同窓生は、夫の病を知らない。
夫も、自身の病気を認めていない。

再会の約束は、果たせるのだろうか。。。。。。

帰宅後、体の不調は、日毎に大きくなり……。
合併症の糖尿病が悪化したのだろうか。
両足先の冷えとしびれが酷く、
仕事も手に付かない様子が続いた。
汗ばむ季節だと言うのに、
使い捨てカイロを靴下に貼り付けて、凌いでいた。

身体は、正直だ。
着々と、夫の酒量が増えていることを教えている。

病気とうまく付き合うのではなく、
酒とうまく付き合いたい。。。。。


そんな夢物語に振り回されて、
夫の身体は、どんどん追い詰められて行った。

悪影響

冷たいのを通り越して、感覚がない。
夫の足先の苦痛は、我慢の限界だった。

足の壊死=切断!?
そんな最悪のパターンだけは避けたい。

2012年6月、
糖尿病治療でお世話になっている開業医に相談すると、
「まだ、大丈夫」との診断。

新しい薬を追加されて、様子を見ることに……。

薬の副作用なのか、吐き気が込み上げ、食欲不振。
消化不良で、酷い下痢が続いた。

再び、開業医を訪ねると、またまた、違う薬を追加された。

しかし、症状は、一向に改善されず……。
本当に、大丈夫なのだろうか。

ままならない体調を持て余し、
憂さを晴らすかのように、夫は、自室で独り酒???

飲み出したら、止まらない。
腸の吸収不良で、下痢も止まらない。

夫は、汚したパンツを次から次へとゴミ箱に捨てていき、
もはや、はくパンツが底を突いた。

「パンツ買って来て! 足りないから。。。。」

そういう問題ではないと思う。

店に行けば、簡単にパンツは手に入るが、
夫の傷んだ身体は、買い替えることが出来ない。

アルコール依存症が、着々と進行している。

不調の原因は、全て、
五臓六腑にしみわたった酒の悪影響なのだ。

もう、一介の町医者の手におえる病気ではない。
優先すべきは、専門病院でのアルコールを抜く治療だ。

「もう一度、あの専門病院で治療してほしい。。。。」

効かない薬と飲んではいけない酒を飲み続けている夫に、
私は、話すタイミングをうかがっていた。

上辺

通院中の開業医の力量に限界を感じた夫は、
地域の中核病院での診察を希望した。

朝一番でT病院へ、二人で出掛けたが、散々だった。

連日の下痢や胃の不快感や足の感覚麻痺を訴えても、
医師は、触診することもなく……。

「検査を希望なら、予約が必要です。
 日を改めてになりますが、どうしますか?」

痛いから、病院に駆け込んでいるのに、
検査をするかしないかをこちらに委ねられても……。

紹介状を持たない診察は、
ちょっとの問診で、門前払いされてしまった。

後日、気を取り直して、他の中核病院を訪ねるも、

「原因はお酒ですね。
 以前、掛かった病院に行かれた方が、よろしいかと…」

そこに行きたくないから、
夫は、すがる思いで、新しい病院を探し回っていたのだ。

このY病院も、取りあえずの薬は処方してくれたが、
二度と来なくていいから的な雰囲気だった。

挙句、以前入院した専門病院への紹介状を手渡されて……。
落胆した夫は、家に引きこもってしまった。

「紹介状もあることだし、
 もう、一度、あの病院に行ってみよう」

「行かない。。。。。」
 
「お酒が原因で、体が悪くなっているのだから、
 やっぱり、あの病院で治療した方がいいと思うけど…」

「あの病院には、行きたくない!!」

夫がかたくなに拒むので、つい、感情が高ぶってしまった。

「このままだったら、治らないじゃん。死んじゃうよ」

「お前には、迷惑かけないから、大丈夫だ!!」

だんだん、話の方向がおかしくなってきて……。

「パパがいなくなったら、
 アタシ、独りぼっちになっちゃう。。。。」

「お前は、独りじゃないよ」

確かに、私には、息子(26歳)と娘(24歳)がいる。
でも、彼らは近い将来、
家庭を持ち、自分たちの家族を作っていく。

そこは、私の居場所ではない。

涙がどんどんあふれて、止まらなかった。

「お前には迷惑かけないように死ぬから、心配するな」

夫の言葉に、はっとした。

医者も、夫の上辺しか見ていないが、
きっと、私も同じだ。

夫の心の叫びを聞き落している。。。。
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