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再発

この病気に罹っている人は、全国に200万人以上。

仲間は、たくさんいるのだ。
そして、再発した人も、掃いて捨てるほどいるのだ。

だから、夫の再発を悲観しても始まらない。

が、落胆は、日々大きく膨らんで。。。。。
将来への不安に押しつぶされそうになる。

この病気の平均寿命は、52歳。
カウントダウンが聞こえて来るような。。。。。
今秋、夫は52歳になる。

あぁ、神様、仏様……。

どうぞ、私に、
立ち向かう勇気、楽しむ元気、
そして、諦めない根気をお与え下さい。


苦しい時の神頼みで、
折れそうな心を持ちこたえている。

兆候

病気の兆候は、かなり前からあった。

でも、まさか、うちの夫が……。
打ち消す思いの方が強くて、
本当の病名を受け止めることが出来なかった。

夫は、自他ともに認める酒豪だ。
夫に負けじと、
私も多量の酒を体に流し込んでいた。

米は切らしても、
酒を買い忘れることはなかった。
1年、365日、晩酌!!

だらだらと、飲んで食べて、
将棋やトランプに興じた。

勝った者は、気分上々で、酒がすすみ、
敗者は、口惜しくて、酒をあおる。

どっちにしても、飲むことに変わりはなく……。
酔いが回り、睡魔が押し寄せて、ゲーム終了。

大体が、私の負けで、
勝った夫は、ご機嫌のまま、爆睡なのだが……。

3か月に1回くらいは、
酒絡みの事件が勃発していた。

危ない飲み方

「酒が強い=内臓が強い」という訳ではない。
大量の飲酒は、内臓にダメージを与える。

30代の頃から、夫の健診結果は、
毎年、「再検査・要」だった。

私が、いくら勧めても、
「忙しい、面倒だ。必要ない」の一点張りで、
病院へ行かないのだから、改善するはずがない。

まだ若かったので、それなりに体力もあり、
日常生活に何ら支障もないように見えた。

仕事は順調で、
毎年のように、優秀営業マンとして表彰され、
その金一封で、
会社の仲間と一晩飲み明かすのが恒例になっていた。

私の実家に、同居して8年、
これからも、マスオさん的な暮らしが続くと、
高をくくっていた、そんな時だった。

人事異動(転勤)に夫の名前が挙がっていることを、
私たちの仲人でもある常務から、早々に知らされ……。

「転勤を望まないなら、配慮するから……。
 会社を辞める必要はない」

常務は、転勤に消極的な夫を案じてくれた。

単身赴任も考えたが、
まだ、子どもたちが小さかったので、
家族4人で引っ越すことを選んだ。

神奈川県から千葉県へ。
36歳の夫は、柏営業所の所長を任された。
その重責からか、酒の量が一段と増したように思う。

ある日の朝、いつものように、冷蔵庫を開け、
朝食用の食材を取り出した。

びしょびしょに濡れていた。
不思議に思って、庫内を確認する。
水物がこぼれた形跡はない。

昨夜、夫は泥酔していた。

おそらく、冷蔵庫をトイレと間違えて、
用を足したのだと推測できる。
現行犯ではないので、夫を追及しなかったが……。

この頃から、危ない飲み方が始まっていたのだ。

異常な数値

不惑の年を迎えようとしていた、
2000年3月、夫は、決断した。

新卒で就職し、
東京、多摩、横浜、柏、広島営業所と異動はあったが、
18年近く、お世話になった会社を辞めた。

40歳を過ぎると、採用枠が少なくなるから、
39歳で再就職を……と、考えていたようだ。

しかし、就職活動は、思いの外、難航した。
再就職した会社は、肌に合わず、半年で退職。
再々就職した会社は、なんと、半月で辞めてしまった。

貯金は底を突き、将来が見えなかった。

酒なんか、飲んでる場合じゃないのに……。
辛いことや悲しいことがあると、お酒に頼ってしまう二人。

夫は、再々々就職したが、
着実に、体は、酒に蝕まれていた。

44歳の夏、
夫の健診結果の異常な数値に驚いた医師が、
直接、夫の会社に電話して来て、再検査をすすめたのだ。

「 多くの患者を診てきたが、こんな数値を見たことない。
 このままの生活を続けたら、
 命の保証は出来ません。。。。
 
身長176㎝、 体重63㎏、 総コレステロール432、 
中性脂肪2379、 γーGTP815、 血糖155。

女医の話で、事の重大さに気づいた夫は、
遅ればせながら、精密検査を受けることに……。

開き直り

子どもたち(当時、息子~大学2年、娘~高校2年)が、
大学を出るまでは、生きていてほしい。
せめては、下の子どもが、
成人するまでは、生きていてほしい。

寝酒が習慣化して、深酒する事も多くなり、
夫の寿命が尽きるのが、そう、遠くないように思えた。

だから、再検査を受ける気になってくれたので、
少しだけ、 ほっとした。
治療をすれば、良くなると思っていた。

検査結果をもとに、女医が治療方針を示した。

肝機能を改善するため、まずは10日間の禁酒。
中性脂肪とコレステロールを下げるため、体を動かすこと。

夫は、1日1万歩以上を目標に、
時間の許す限り、歩くことを優先した。
もともとが、体育会系なので、
運動は苦にならない様子だった。

しかし、禁酒は、相当、身に応えていたようだ。

晩酌なしの夕ご飯は、あっという間に終了してしまい、
見たいテレビ番組もなく、手持ち無沙汰で……。

布団の中で本を読みながら、睡魔を待つも、
一向に眠くならずに夜が明けて……。
不眠を訴えて、機嫌はすこぶる悪い。

私の何気ない会話にも苛立ち、
いちいち上げ足を取るので、ほとほと閉口した。

長い10日間だったが、
禁酒した甲斐あって、検査結果は少しだけ改善した。

私も夫の禁酒に付き合って、酒を我慢した甲斐があった。
「この調子で禁酒生活を続ければ、正常値になれるね!」
やる気になったのは、私だけ。

「今日で、禁酒期間はおしまい!!」と宣言し、
待ってましたとばかりに、夫は晩酌再開。

その結果、次回の検査では数値は再び異常に……。

女医の口から、
「1か月の禁酒」という言葉が飛び出すと、
夫は、耳をふさいでしまった。

「10日が限界。1か月なんて、冗談じゃない。
 それに、医者が言うほど、体の調子は悪くないし……」

夫は、早々に受診をやめた。

「好きな酒を飲んで、死ぬのなら、本望だ!!」
夫は、開き直ってしまったのだ。

アルコール漬け

「あと、10年、生きれれば、いいんだ。
 それ以上、長生き出来たら、儲けもん!!」

45歳にして、勝手に、自分の寿命を決めてしまった夫。

再検査で、多量の酒が、
体に災いしていたことが証明されたのに、
適量で、飲酒を終わらせることが出来ない。

会社の仲間と飲み歩くと、
ぐでんぐでんに酔いつぶれて、
必ず、どこかに怪我をして帰って来た。

手から血を流していたり、
足に大きなアザ、頭にコブ……。

本人は、何処でどうしたのか、
ほとんど記憶がないのである。

家で飲んでいても、悪酔いするようになっていた。
怒りっぽくなって、喧嘩越しの物言いになるので、
一緒に飲んでいても、楽しくない。。。。。

夜中、喉の渇きで、目が覚めた夫は、
冷蔵庫の中から、缶ビールを取り出し、
水代わりに飲むようになっていった。

休日は、早朝から、ベランダに出て、
缶酎ハイを一気に飲み干して……。
日中も、ウイスキーの小瓶をラッパ飲み。

明らかに、異常な飲み方だった。

「アル中!?、アルコール依存症!?」
そんな病名が頭に浮かんだ。

私は、手当たり次第、アルコール依存症の本を読み漁った。
読めば読むほど、夫の症状が当てはまった。

なまじ、アルコールに強い体質が、裏目に出たのだ。
飲んで、飲んで、飲み続けた結果、アルコール漬けに……。
体内のアルコール濃度が少しでも下がると、
脳が、アルコールを補給するよう、指示をする。

やっかいな病気だ。

「酒をやめられないのは、意志や道徳の問題ではない。
 脳内に出来たアルコール回路の作用」

つまり、アルコールによる脳の障害の一種なのだ。

夫が、どんどん壊れて行くのに……。
私は、非力だ。
そして、無力だ。
一緒になって、酒をあおっていた。
きっと、私も、病気だ。

限界

45,46、47歳と、
アルコール摂取量は、うなぎ上りに……。
それに反比例するかのように、
体重はどんどん落ちていった。

「酒は百薬の長」ではない。
度を超えた飲酒は、毒以外の何物でもない。

毒を少しでも抑えたくて、
焼酎のお湯割りを薄めて作ったり、
酒の買い置きを隠したりもしたが、
そんなことは、無意味だった。

飲み足りない夫は不機嫌になり、暴言を吐き、
ヨロヨロしながら着替えると、
フラフラしながら外へ飲みに……。

「酒を飲み出したら止まらない。
 夫は、そういう病気だ。
 私に、それを治す力はない」

夫が、自分の病気に気付いて、
専門医の治療を開始するよう、
その時が、一日でも早く訪れるよう、
祈りながら、夫の状態を見守った。

夫は、深酒の影響で、眠りが浅くなり、
慢性的な体のだるさを訴えていた。

外回りの営業だったので、車の中で休んだり、
仕事の途中で自宅に戻り、寝ていることが多くなった。

食事をすると、必ず下痢に……。
栄養が吸収されず、体重は10㎏近く減った。

頭もボーとして働かず、 仕事上のミスが目立ち始め、
すっかり、夫は自信を失っていた。

2008年10月、
「もう、駄目だ。会社を辞める。。。。」
夫は、思い詰めていた。

体を騙しだましの勤務は、限界だったのだ。

「まずは、病院に行こうね。 いっしょに行こうね」

私の実家近くの総合病院を勧めると、
夫は、観念したかのように承諾した。

治療が始まれば、
きっと、酒まみれの生活から足を洗える。

少し、希望が見えた。

上辺の病名

目のかすみがひどく、チクチクと痛い。
足がしびれる。つる。冷える。歩行困難。
やたらと、のどが渇く。
腰や背中に鈍痛。
いくら食べても、空腹感がある。
体がだるく、疲れが取れない。。。。。

初診時、思いつくままに、夫が症状を訴えると、
それに見合った検査が、次々と用意され……。

GOT 216, GPT 101, γ-GTP 1474 で、
肝機能障害、肝硬変の手前。
血糖 272 で、重度の糖尿病。

「辛かったでしょう。よく、我慢してましたね。
 これからの人生を大切にするためにも、
 しっかり、治療しましょう。
 47歳と、まだ、若いのだから……。
 ご主人に、万が一のことがあったら、
 奥さんもお子さんも悲しみますよ。
 奥さんも、いっぱい心配されたでしょう」
  
新患担当医は、
同席している私にまで、気遣いを見せてくれた。
 
こうして、眼科、消化器内科、糖尿病外来と、
各科をはしごしての病院通いが始まったのである。

処方された薬は、忘れず飲用したが、
「酒を飲まないことが最大の治療法」
という、医師の指導は、守れなかった。。。。。

季節は師走、忘年会で飲酒三昧の日々。
とうとう、年末の土日、夫の体が悲鳴を上げた。

みぞおち辺りが、刺すように痛み出し、
次第に、脇腹から背中にかけて、痛みは広がり、
夜も眠れない激痛に……。

12月29日の月曜日、朝一番で病院に駆け込んだ。

オーバーホール

2008年、年の暮れ、
新年を迎えるワクワク感は、吹っ飛んだ。

大晦日、酔いつぶれることなく、
最後まで、紅白歌合戦が見れたのも、

朝酒もおせち料理もなく、元旦に突入したのも、
全ては、12月29日に、
夫が、急性膵炎で緊急入院してしまったから。。。。

夫の1日も早い全快を祈って、
のん兵衛の私は、酒断ちで、願掛け。

電車に乗り、夫の入院先の病院へ通うのが、
私の日課になった。

絶対安静の夫は、
最初の5日間は絶飲絶食で、点滴は24時間。

激痛から解放された夫は、
「腹減った~~~。メシ食いて~~~」
と、しきりに空腹を訴えていた。

夫を見舞う前、
小腹が空いていた私は、
売店で買ったチョコを一気に食べた。

その空箱に気付いた夫は、
「ちょっと、貸して」と、言い出し……。

何度も何度も、鼻にこすり付けて、
チョコの残り香を嗅いでいた。

甘い物が苦手で、
今まで、洋菓子も和菓子も駄菓子さえ、
口にしなかった夫が、である。

痩せ細った腕に、点滴の注射針が固定され、
不自由を強いられ、その上、ひもじさに耐え……。

病気とはいえ、夫が気の毒に思えてならなかった。

6日目から、流動食になったが、点滴は24時間。
15日目に、やっと、点滴の注射針が外された。

体内のアルコールは、すっかり、抜けたようで、
夫は、日毎に体の調子が良くなり……。

初めての入院、
体のオーバーホールは、20日間で無事終了した。

大丈夫

家族に、いっぱい、心配をかけ、
自分も、死ぬほど痛い思いをしたので……。

さすがに、退院当初の夫は、
アルコールに手を出さなかった。

夫の再発を恐れる私は、
以前のような、酒の買い置きはやめて、
禁酒生活を続行した。

1か月近くの禁酒で、
夫の臓器が元気を取り戻すと、
我慢の限界とばかりに、アル中の血が騒ぎ出し……。

「少しくらいなら……大丈夫」
と、勝手に酒解禁してしまったようで、
外で、こそこそ飲んでいる様子がうかがえた。

こんな調子じゃ、再発は時間の問題。

酒を遠ざけたくて、
私は、晩酌なしの献立を出し続けた。

夫は、つまらなそうに、まずそうに、
時には、苛立ちながら食べていた。

そんな夫の姿を見るたびに、
やりきれなさが募り、心は重くなるばかりだった。

病院で栄養指導を受けた私は、
料理嫌いを返上して、手作りに励んでいるのに……。
夫の健康を願っているのに……。

夫の入院を機に、
願掛けの断酒を続けている私だけが、
健康になっていく。。。。。。

やるせない思いを持て余していた時、
新聞の片隅で見つけた言葉。

Every thing happen for your happiness.
(あらゆることは、あなたの幸せのために起こっている。)

何があっても、大丈夫。
全ては、私の幸せのため。

そう、思うことで、少し、心が軽くなった。

もとに戻る

年末に、緊急入院した病院は、
10月からお世話になっていた、H病院ではなかった。

激痛で駆け込んだのは、通院治療中のH病院だったが、
時期が悪かった。

痛みの原因を調べるため、
採血、採尿、レントゲン、CT、エコー等の検査で、
夫は院内を行ったり来たりと、大変辛い時間を過ごし……。

あげく、年内の診察は午前中で終了ということで、
すでに職員も年末年始の休暇に入っていて、
「人手不足のため、この病院では充分な処置が出来ません」

夫の体の診断も不明瞭なまま、
救急指定のO病院を紹介され、急いで移動。

O病院でも、似たような検査を受け、
結局、そのまま入院となったのだった。

O病院での夫の担当医は、40代半ばの男性。
ちょっと、高圧的な態度が目立ち、
冷たい印象のする人だった。

退院後の通院治療の選択を求められ……。

紹介元のH病院に戻るのか、
それとも、このまま、O病院で治療を続けるのか。

迷ったが、
入院設備が充実しているO病院を選んだ。

夫は、体調が落ち着いてくると、

「好きな酒も飲めないのなら、死んだ方がまし。
 飲むことが生きること!!」

飲酒を正当化し、
また、もとの呑兵衛に戻ってしまった。

酔っ払っている夫を見ていると、
もはや、私の願掛け断酒は無意味。

退院から、3か月足らずで、
また、もとの酔っ払い夫婦に戻ってしまった。

4週間ごとの診察時、
血液検査結果は、飲酒の影響で悪くなるばかり……。

「奥さん、ご主人にお酒を飲ませちゃ、ダメでしょう」

担当医が、私の落ち度を指摘する。

「禁酒が出来ないなら、ここでの治療は限界ですね」

担当医に突き放され、
夫の覚悟が決まったようだ。

次回の予約診察日を無断キャンセルし、
O病院との縁を切ってしまったのだ。

ただ、体調は悪いままなので、
自宅の近くの開業医に薬の処方を頼むことに……。

開業医は、夫の希望する薬を用意するだけで、
飲酒に対しては、大らかだった。

取りあえずの、薬の飲用は気休めに過ぎなかった。

その証拠に、
アルコールの弊害が体のあちこちに出て来ていた。

激ヤセが止まらない。

「生きるために、飲まない選択を!!」

いつか、夫が、
自身の本当の病気と向き合う日まで、
私に出来ることは、待つことしかなかった。 

札束

ままならない体調も手伝って、夫は涙目だった。

「もう、働けないかもしれないから。。。。」

2009年、7月、
夫は、200万円の札束を私に差し出した。

田舎の母親から、「借りた」と、言っていた。

娘(当時大学3年生)の学費にするよう、
自分がいなくても、金の出し入れが出来るよう、
私名義の銀行口座で保管してほしいとの事。

夫は、思い詰めていた。
自分の命が終わる日を身近に感じ、
家族の行く末を案じていた。。。。。

2008年の年末、
緊急入院時の病名は、急性膵炎だったが、
その根っこには、アルコール依存症が隠れていたのだ。

退院後、治療継続中の飲んではいけない体なのに、
酒を我慢することが出来ない。
そして、飲み出したら、止まらない。。。。。
 
寝汗、こむら返り、疼痛、感覚麻痺、しびれ、
胃炎、下痢、弱視、不眠等々。

夫の体は、再び、酒害にさらされ、
数々の苦痛を訴えていた。

「大きな病院で、診てもらおうね。
 きっと、良くなるから……一緒に行こうね」

私が、いくら誘っても、
夫は、専門病院受診をかたくなに拒否し続けていた。

「もう、入院はイヤだ。。。。病院には行かない」

痛みを紛らすために、飲酒が止まらない。
酒は、鎮痛剤ではない。

「禁酒出来ないのは、アタシもパパも依存症かもね」
遠慮がちに、夫の顔色をうかがうと……。

「酒飲みは、みんな、アルコール依存症だよ」
夫は、他人事のように笑っていた。

このまま飲み続けて死ぬ道と、飲まずに生きる道。
決めるのは、夫だ。
私には、夫の命をコントロールする力はない。

全ては、成り行きに任せる。

夫の思いが籠った札束をじっと見つめながら、
私も覚悟を決めていた。 

姉たち

糖尿病が悪化しているのだろうか?

「足先が氷のように冷たく、膝もしびれるように痛い」
夫は、頻繁に、足の不快を訴えるようになった。

足の痛みをかばうような歩き方で、無理が祟ったのか。
今度は、右足付け根が痛み出し……。
片足を引きずりながらの歩行になってしまった。

受診を勧めても、病院へは行こうとしない。

「どうせ、治らない。。。。。」が口癖になっていた。

そんな最中、2009年10月、
夫の姉2人が、我が家にやって来た。

もうすぐ2歳になる初孫を連れた姉は、愛知県から……。
高齢の母親の思いを託された姉は、山口県から……。

弟の具合を案じて、
新幹線を乗り継ぎ、遥々、訪ねてくれたのだ。

遠方であること、
手狭な賃貸マンションであることを理由に、
姉たちを招待したことは、今まで一度もなかった。

「泊る所の心配はいらないから……。
 一目、弟の顔を見たら、すぐに引き上げるから……」

姉たちは遠慮していたが、我が家に泊まってもらった。

姉の自慢の初孫は、
お喋り上手で、人懐こく、可愛い女の子だった。

夫にも、愛くるしい笑顔を振りまいて……。

「自分の孫は、かわいいけぇ、
 孫の顔を見るまでは、長生きせんと、いけんよ

言葉少なに語る姉に、
夫は、「あぁ」と、小さく頷いていた。

時間の許す限り、
横浜の観光スポットを車で案内した。
姉たちは思い出をいっぱい写真に収め、帰って行った。

「みんなに、心配かけちゃったね。
 孫に会えるまでは、生きていないとね。
 体、ちゃんと、治そうね」

姉たちの思いを代弁する私に、
やっぱり、夫は、「あぁ」と、小さく頷くだけだった。

どん底

病気の行方は、成り行きに任せる。
つまり、酒を飲む飲まないは、本人に任せる。

本人が「どん底」を体験しなければ、
アルコール依存症治療への扉は開かないのだ。

酒を飲み過ぎないようにと、
監視したり、口をはさんだり……は、
夫を苛立たせるだけ。

「成り行きに任せる」
そう、割り切ってしまうと、
気分が変わり、行動も変わった。

動けるうちにと、
毎月のように、映画館、行楽地、温泉旅行へと、
二人で出かけた。

2010年、4月。
結婚記念日に、思い出の地を旅した。

宿泊したホテルの夕食は、豪華な和洋会席。
酒は、二人で、熱燗の徳利5本と控え目にした。

食が細るばかりの夫は、
酒で、料理を胃の中に流し込んでいるように見えた。

夜中、水をかき出すような音が聞こえて、
私は、目を覚ました。

夫の姿がなかったので、
トイレに行ったのだと、思った。

しばらくしても戻らないので、様子を見に行くと……。

トイレの手前の洗面台で、夫は嘔吐したらしく……。
その汚物を水で流そうとしたのだが、詰まってしまい……。
今にも、洗面台から溢れそうになっていた。

夫は、洗面台にあった小さなコップで、
汚水をすくい取り、便器へ流し捨てていたのだ。

「大丈夫だから。寝てていいから。。。。」と、夫。

吐き過ぎて、辛そうな夫の姿を目の当たりにして、
見て見ぬふりは出来なかった。

新婚の頃は、どんちゃん騒ぎで、
毎日、楽しい酒だったのに……。

まさか、結婚25年目に、
夜中、宿泊したホテルで、
汚物処理に悪戦苦闘する自分がいるなんて、
夢にも思わなかった。

忘れられない、銀婚式になってしまった。

全ては、アルコールのなせる業だ。

紹介状

病魔は、確実に、夫の体を蝕んでいる。
体の変調は、本人が、一番よく分かっていたはず。

「来年は、きっと、いないよ。生きていない。。。。」

夫が、そんな自暴自棄な物言いをするたびに、
私は、静かに、穏やかに、受診を勧めた。

「悪い所があるのなら、また、病院で診てもらおうね。
 治るか治らないかは、医者に決めてもらえば いいから。
 何もしないで悲観してても、何も解決しないから……ね」

2010年5月、
病院嫌いの夫を、再び、総合病院に連れて行くことが出来た。

温厚そうな年配の医師が、丁寧に夫を診てくれた。

「不調の原因は、お酒です。
 良い病院がありますので、紹介状を書きましょう。
 あまり、堅苦しく構えず、気軽に来院してみて下さい」

勧められた病院は、
アルコール依存症を治療する、有名専門病院だった。

やっと、本当の病気と向き合う時が来た!
病気は治らないが、
その進行を抑えることは出来る!!


楽観的になったのは、私だけで、
夫は、しょんぼりしていた。

紹介された病院へは行く様子もなく、1ヵ月が過ぎ、6月。

2人の子どもは、毎年、父の日のプレゼントを忘れない。
父がいてくれることへの感謝は、
添えられた、短い手紙の中に、いつも溢れていた。

夫は、まだまだ、生きていなくてはいけない、
大切な存在なのだ。

7月、七夕。
短冊に、父の具合を気遣い、無事を祈る、子どもたち。

家族は皆、専門病院での治療を強く望んでいたが……。
本人の意思を無視して、
強引に病院に連れて行くことは、出来ないでいた。

頂いた紹介状は、ただの紙くずになっていた。

禁酒、禁煙

専門病院への紹介状をいただいたのは、2か月前。
その間、夫は一度も来院しなかった。
このまま、紹介状はただの紙くずになると、思っていた。

そんな矢先、
「紹介状、まだ、使えるかな? 
 だいぶ経ってるから、期限切れでダメかなぁ」

夫の声は、か細く、元気がなかった。
体の痛みが大きくなっているのが、手に取るように分かる。

「未使用だから、有効ですよ。 まだ、十分、間に合うから。
 絶対、大丈夫だから。。。。病院、行ってみようね」

2010年、7月半ば、
海辺にある、専門病院をふたりで訪ねた。

検査、診察、カウンセラーの結果、
3か月の入院治療を勧められ……。

拒否できないほどに、夫の体は衰弱していたので、
それに従った。

「煮るなり焼くなり、どうにでもしてくれ!!」

そんな心情も、あったのかもしれない。

入院先の病院が、敷地も含め、全面禁煙だったので、
医師に勧められるままに、夫は煙草も止めることにした。

処方された薬(チャンピックス)を飲んで、
徐々に、体内からニコチンを、抜いていく。

禁酒、禁煙の同時進行。
アルコールを抜くだけでも、辛いはずのに……。

入院計画表に基づき、検査、治療……と、
夫は、淡々と日課をこなしていった。

本当の病気と向き合う機会が来たのだ。
この入院治療が、良い成果へ導いてくれるに違いない。

飲まずに生きる道を歩み始めた夫を、
出来る限り、サポートしようと、決めた。

病棟の人たち

1時間半かけて、電車とバスを乗り継ぎ、
頻繁に夫を見舞った。

院内の売店では、品数は限られていたので、
夫の希望する物を買い揃えては、持参した。

アルコール依存症患者の入院病棟なので、
どうしても、アル中、酒乱という先入観にとらわれて……。

一癖も二癖もありそうな人が、ウロウロしているような、
独特な異空間を想像していたが……。

病棟の出入り口用のドア近くにいたお兄さんは、
荷物で両手がふさがっている私に気付くと、
すぐに、手動の扉を開け、
「荷物をお持ちしましょうか?」と、気遣ってくれる。

ナース室前の掲示板を眺めていると、
通りかかったおじいさんが立ち止まり、
穏やかに話しかけて来る。

お酒の毒が抜けている彼らは、心優しく、人懐こい。

みんな、お酒で、体を壊し、心を壊し、
あちこちの病院を回って、ここに、たどり着いたのだ。

みんな、ここで、良くなってほしい。
まだまだ、人生を終わらせるには早すぎる。

アルコール依存症になってしまったら、
もう二度と「普通に適量を飲む」ことは出来ないそうだ。
でも、
飲まずに「普通に生活する」ことは出来るという。

夫が、本気で病気と向き合い、
克服してくれることを祈るばかりだった。。。。。。

疑心

アルコール関連の身体疾患検査のため、
夫は、「第1期治療病棟」で、2週間余り過ごした。

血糖値457  中性脂肪589  γ・GTP752 
アルコールの影響を受けて、数値は異常に高い。

「アルコール依存症 ・ 糖尿病 ・ 肝機能障害」
明確に、病名も示されたのに……。

夫は、まだ、納得できずにいるようだった。

納得できないのは、夫ばかりではない。

他の入院患者も、
「自分はアルコール依存症ではない。
 家族に連れられ、診察だけのはずが……。
 入院を強要されて。。。。。」

病気の自覚がないのだから、入院する必要がない。
酒を止める必要も全くないということで、
自主退院していく人が、後を絶たない。

治療の難しい病気だ。

本格的な治療が始まる「第2期治療病棟」へ移ると、
治療の一環として、外泊が組まれていた。

週末、自宅に帰り、日曜の夕方4時に病棟に戻る。
酒が身近にある中で、
酒の誘惑に負けずに「しらふ」で過ごす。
かなり、ハードルの高い練習なのだ。

外泊したまま病院に戻らず、消えて行った人たち。
家から隠し持って来た酒を、
病室で飲んで、強制退院になった人たち。

夫は、入院中、何人もの挫折者を見て来た。

そんな入院生活も、中盤に差し掛かった面会時、
「俺は、依存症なのかなぁ~。
 違うような気がするんだけど……」
と、夫が言い出したので、私は耳を疑った。

優等生

院内では、
「アルコール勉強会」というプログラムがあり、
患者も家族も、
依存症についての正しい知識を深めている。

飲んではいけない時間に、
飲んではいけない場所で、
飲んではいけない体で……。

酔い潰れるまで酒を飲んでいた夫は、
まぎれもなく、アルコール依存症だ。

脳内に、酒を飲ませようとする回路が出来てしまい、
飲酒コントロール不能状態。。。。。

アルコール依存症の専門病院に入院しているのに、
「アルコール依存症ではないような気がする。。。。」
夫は、首をかしげて、ぼそっと、つぶやいていた。

アルコール依存症は、別名「否認の病気」なのだ。
本人だけが、病気の自覚に欠けている。

会社に3ヵ月の休暇を認めてもらい、
高額の病院代も覚悟して……。

夫を病院に預けたのは、
全ては、夫の回復を祈ればこそ。

病気を正しく理解しなければ、
治療効果は期待できない。。。。。

長期入院も、
時間と金を無駄に使ったことになってしまう。

体の痛みが落ち着いて来た夫は、
不自由な入院生活に、うんざり気味になっていた。

自身の不始末で入院が長引くことのないよう……。

治療途中で病棟を去って行った患者を横目に、
夫は、努めて優等生だった。

母と子

院内では、家族のための勉強会、
「家族会」が、月2回、開かれていた。

病院へは、電車とバスを利用した。

乗り初め、バスの車内は、
買い物や学校帰りの客で、ほぼ満席だったが……。
終点近くの「○○病院入口」バス停に着く頃には、
運転手と私だけになってしまうことが多かった。

その日に限っては、
赤ん坊をおんぶした若いお母さんが、
私と同じバス停で降りたので、意外だった。

きっと、親が入院しているのだろう。。。。。

炎天下、背中でむずかる赤ん坊のお尻を、
とんとん叩きながら、
母親は、足早に病棟へ消えて行った。


病気と闘う依存症者も大変だが、
その家族もまた、大変な思いをしているのだ。

ここで、この病院で、
どうぞ、病気が良くなりますように。。。。

あの母と子が見舞う患者の回復を
祈らずには要られなかった。

家族会

家族会への参加は、強制ではないので、
毎回、多くは集まらない。

まず、医師や看護師の講義を聞いて、
アルコール依存症についての知識を深める。
次に、小グループに分かれて、懇談する。

医師を囲んで、車座になった時、
先程の赤ん坊連れのお母さんがいた。

各自、簡単な自己紹介をするので、
あの若い母親の見舞う相手は、
親ではなく、夫だったことが分かった。

初めて「家族会」に出席した彼女は、
夫のこれからを心配し、
不安な胸の内を医師に訴えていた。

なんで、夫がこんな病気になったのか。
側にいたのに……。
なんで、気付いてあげられなかったのか。
赤ん坊の世話に追われ、
夫のことは、ほったらかしだった。
だから、夫の病気は、自分のせいだ。
夫に申し訳なくて。。。。。。

母親の腕に抱かれ、
すやすや眠っている赤ん坊の服の上に、
ぽたぽたと、涙がこぼれ落ちていた。

彼女の苦しみは、私にも、思い当たる。

「……奥さんが悪いのではありません。
 お酒を飲んでしまうという病気なのです。
 だから、病気を治療すれば、飲まなくなり、
 体調も良くなって来るはずです。
 奥さんが、病気の直接の原因ではありませんが、
 奥さんの接し方は、
 病気の回復に大きく影響しますので……。 
 家族会で、勉強して、病気を正しく理解して……。
 大変でしょうが、
 ご主人の回復のために、頑張って下さい」
 
参加者は皆、自分へのアドバイスのように、
医師の話に耳を傾けていた。

「一人で長く喋ってしまい、申し訳ありません。
 。。。。ありがとうございました。。。。」

彼女の顔に、少しだけ、笑みが戻った。

「アルコール依存症から立ち直るには、
 断酒を継続する以外に道はない

飲まない環境を作るために、
家族の協力が不可欠なのだ。

勉強会に参加して、参考本も読破して、
知識は仕入れたが、
実践は、いばらの道に等しいような。。。。。。

夫は、アルコール依存症で、糖尿病を併発していた。

今、断酒し続ければ、
5年後の生存率は90%だが、
飲み続けていれば、
5年後の死亡率が70~80%になるそうだ。

断酒の有無が、大きなカギを握っている。

断酒を継続するための補助薬として、「抗酒薬」がある。
この薬と酒をいっしょに飲むと、酷い二日酔い状態になり、
死ぬような苦しい思いをすることに……。

「抗酒薬を飲んだら、酒を飲んではいけない」

そんな掟のような薬なのだ。

でも、掟破りは、何処にでもいるようで……。

「外泊で自宅に戻った夫は、
 私の目の前で、抗酒薬を飲んだのに……。
 その後、隠れて飲酒したみたいで……。
 うっすら赤ら顔だったが、全然、苦しそうじゃなかった。
 夫には、抗酒薬が効かないのでしょうか。。。。」

家族会の懇談の時、
医師に恐る恐る質問している中年女性がいた。

「人によって服用量が違うので……。
 ご主人には、適量ではなかったようですね。
 それより、外泊中の飲酒は、
 反省室に24時間入室になります。
 ご主人の名前と病室番号は……?」

医師は、メモを取っていた。

入院患者は皆、酒を断って、治療に専念しているのだ。
酒臭い息をばらまいて、
現場の雰囲気を乱してもらっては、迷惑なのだ。

後日、この話を夫に伝えると、

「反省室に入った奴がいたけど、
 すぐに出て来て、自主退院していったヨ。
 入院中なんだから、酒は我慢しなきゃ、ダメだろう。
 残念な奴だ。 要領が悪すぎる。。。。」

要領がいい、悪いの問題じゃないような気がする。

「入院中なんだから……」ということは、
「退院後」だったら、OKってことなの???


ちょっと、うがった見方をしてしまった。

夫は肝臓病があるので、「抗酒薬」は服用できない。
自助グループの「断酒会」も、参加する気はないようだ。

掟を持たない夫は、
何を頼りに、断酒を継続するのだろうか。。。。。

おサラバ

病室のカレンダーに丸印を付けて、
ずっと待ち焦がれていた、退院の日が来た。

血液検査の結果、
血糖値133  中性脂肪124  γ・GTP103

過去最悪のデータ、
血糖値457  中性脂肪2379 γ・GTP1474

を打ち立てた夫のものとは思えない、数値だ。
驚異的な回復ぶりである。

管理された病院食をとり、
院内の広い敷地を、朝昼晩と散歩し……。

激減していた体重も下げ止まり、
痩せ細った足にも、少しだけ筋肉が戻った。

季節が夏だったこともあり、
健康と見まがうほどに日焼けして……。

アルコールとニコチンの毒が一掃されると、
こんなにも、体調は良くなるのだ。

まさに、入院治療の賜物だ。

夫、49歳。
人生、まだまだ、これからだ!!

今まで、家族のために、
夫は、がむしゃらに走り続けてくれた。

酒を飲むことで、気分転換し、ストレス解消し、
仕事仲間とのコミュニケーションも円滑に……。
酒を飲むことで、数々の困難さえも乗り越えて来たのだ。

ただ、酒が強い夫の飲む量は、度を超えていた。
飲み出したら、酔い潰れるまで止まらない。。。。。

大好きな酒が、毒となって、
夫の身体を蝕んでしまったのだ。

私も夫も大酒飲みで、その総量は、
もう、一生分の酒を飲み干しているはずだ。

だから、これからは、
酒のない暮らしへとギアチェンジして、
健康第一で過ごして行くことにしよう。

「酒まみれの人生とは、おサラバだ!!」

私も「脱、酒」宣言をして、
飲まない環境作りに貢献すると決めた。 

背中合わせ

夫が入院する朝、私は娘からの手紙を預かっていた。

「病室に入ったら、パパに渡してね」

…………入院で、パパだけが、
大変な思いをするのは、かわいそうだから、
パパが戻るまでは、大好きなお菓子を我慢する。
元気になって、早く帰って来て……………

そんな内容の手紙だった。

私は酒断ち、娘は菓子断ちで、願掛けしたのだ。

夫は、入院記録用の大学ノートの表紙に、
娘の手紙を貼り付けて、
2ヵ月程の入院生活を無事終了したのだった。

「お帰りなさい。 退院おめでとう!!」

夕食には、娘の手料理が並んだ。
乾杯で、手にしたグラスの中身は、ウーロン茶。

いささか、盛り上がりに欠けるが、
夫の病状を思えば、アルコールは御法度だ。

退院後の自宅療養中、
夫は、自身のルーツを求めて、一人旅に出た。

横浜の自宅から、車を走らせ、
熊本にある、廃屋の生家へ……。

1週間の長旅。

これから、どう生きるのか。
覚悟を決めるために、必要な時間だったに違いない。

酒を飲むことが、生活の一部だった夫が、
「酒を断つ」という、現実を受け入れなければならないのだ。

アルコールが身近に氾濫する中で、
飲まずに生きる道を選ぶのは、至難の業だ。

夫は、断酒後、お菓子類の食べ方が半端ない。
今まで、苦手としていたケーキや、和菓子など、
甘いものもパクパク食べて……。

食の好みが、180度、変わってしまったような。。。。

父親の退院で、お菓子解禁になった娘と、
競うように、お菓子の食べ比べをしている。

飲めない寂しさを、
大量のお菓子で紛らしているようにも、見て取れる。

飲みたいのを我慢し続ける日々を送っていれば、
いつか、我慢の限界が来てしまう。
夫は、再発の影と背中合わせだった。。。。。

6割

2010年10月21日、夫は復職した。

経理のお姉さんの出産祝いと、
夫の快気祝い???ということで……。
11月上旬、合同の宴席が用意されていた。

夫は営業先から、車で、
宴会会場の割烹料理店へ直行。

今までの夫なら、はしご酒を繰り返し、
帰宅はタクシーで、午前様だったが……。

夫は、一滴も酒を飲まずに、早々に帰宅した。

手を伸ばせば届く所に、アルコールが溢れていたのに……。
よくぞ、思い留まってくれた!!

アルコール依存症の治療には、再飲酒がつきものらしい。
酒をやめ続けることが出来ないのだ。
全国的数値では、断酒成功率3割と低いそうだ。

夫が入院治療した専門病院では、
退院後の断酒率は高く、
6割が成功者との説明を受けたが……。

「半分近くは、失敗に終わっているんだなぁ~」
というのが、私の率直な感想だった。

12月になって、
夫は、お得意先の忘年会に顔を出す機会が増えた。
辺り一面、酒だらけ。。。。。

夫は、車で、会場へ行くことで、酒を断ってきた。

「なんか、不思議なんだ。
 一滴も飲んでいないのに、酔った気分になっちゃって。
 アルコールは、匂いだけでも、人を酔わせるのかなぁ~」

危険だ。危険すぎる。
夫は、酒に近づいてはいけない体なのに……。

酒のいる場所に、自分から飛び込んでいる。
飲まずに我慢できるのか、
身を以て、試しているかのように。。。。。


かろうじて、忘年会シーズンをクリアーした夫。

どうぞ、夫が6割の成功者の中に入りますように。。。。
祈りながらも、
夫の動向に、私は神経質になっていた。

挙動不審

アルコール依存症の一連の治療プログラムが修了し退院。
アルコールの影響による体の不調は快方に向かった。

しかし、飲酒欲求そのものは、なくならないので……。
酒に手を出さない工夫をして、
うまく折り合いをつけて行くしかないのだ。

飲酒欲求に対する「抵抗力」をつけて、
これからも、ずっと、飲まない日々を重ねて行く。。。。。

年末の酒席に参加して、
ノンアルコールビールで、禁酒をアピールする夫。

本物の酒に手を出さずに、過ごせた。
つまり、酒の誘惑に「抵抗」出来た!!

これは、落とし穴だった。

「病的飲酒欲求」は、とても強烈なのだ。
飲みたがっている自分に早く気付き、気分転換すれば、
再飲酒の危機を乗り切ることが出来る。

退院後の1か月、3ヵ月、半年、1年が要注意なのだ。

私の勤務先は、交代で、日・祝出勤があるので、
夫とは、休みが合わない時がある。

日曜の仕事を終え、夕方6時過ぎに戻ると、
いつもなら、夫は居間でテレビ観賞中なのだが……。
その日に限って、私が玄関ドアを開けるや否や、
息子の部屋から、夫が飛び出て来た。

挙動不審の訳は、すぐに理解できた。

留守にしている息子の部屋で、
空気清浄機が、勢いよく作動していたのだ。

煙草を吸わない私は、煙草の臭いに敏感だ。
部屋には、煙草臭が、ぼんやりと漂っていた。

夫は、アルコール依存症の入院治療中に、
チャンピックスという薬を飲用し、
禁煙にも成功したことになっていたのだが……。

「お医者さんと禁煙しよう」は、早くも脱落。

煙草は、飲酒を誘発する。
再飲酒への道は、開けていた。

退院から3ヵ月余り、
2010年12月下旬のことだった。。。。。

再発

年が明けて、2011年。
夫の近辺は、新年会ラッシュ。
酒は、無造作に置かれていた。

夫は、家族の前では禁煙禁酒を装っていたが……。

同じ話を何度も繰り返し、
ろれつが怪しいことが、しばしばあったので……。

どうやら、年末年始の休暇あたりから、
こっそり、煙草も酒も再開していたようだ。

その日の夕方も、散歩と言いながら、
外で飲酒していたように見えた。

酔いが眠気を誘い、夫は早々に布団の中へ……。
ところが、夜の11時過ぎに目を覚まし、
いきなり、着替え始めた。

寝ぼけている様子だったので、
「まだ、夜ですよ。 まだ、寝てて大丈夫ですよ」

私の声が聞こえているのか、いないのか。

うつろな目の夫は、
正気とは思えないことを口にした。

「眠れないから、ちょっと、ビールを飲んで来る」

その夜、夫は、ふらふらと出て行き、
深夜に、ふらふらと帰って来た。

元の木阿弥だ。。。。。

夫の飲酒を公認したくないから、
家の中に、酒の居場所を作りたくないから、

「これからも、私は、絶対、酒を買わない!!」

アルコール依存症は不治の病だと思う。。。。。

決定権

病気には、必ず、「再発」の可能性がある。
つまり、アルコール依存症には、
再飲酒が、つきものなのだ。

飲酒すれば、確実に、病気は悪化する。

でも、この病気は、何回か失敗しないと、
本当に断酒する気にはならないそうだ。

家族会での講義内容を記したノートを読み返し、
病院の売店で買った「アルコール依存症」の本を読み直し、
自分に言い聞かせる。

「飲み続けて死ぬことを選ぶのも本人の自由」

生きることも死ぬことも、決めるのは本人。
干渉したり、批判したり、監視したりと、
間違った世話を焼いてはいけないのだ。

飲む飲まないは、夫にしか決められない。
私に、断酒の決定権はない。

酒を飲むのは、夫がまだ病人のままだから。。。。。
夫も、辛いのだ。

夫が本気で断酒する日は、来るのだろうか。
その日まで、命が持つのだろうか。。。。。。

隠れ酒

夫専用の車は、通勤はもちろん、
夫の小部屋としても、使われていた。

昼寝したり、読書したり……。

休日、夕刻の夫は、何となく酔っているように見えた。
青空駐車場の車内は、隠れ酒には、格好の場所だ。

でも、私は、飲酒行為の有無をただす気にはなれなかった。

何で、夫は、私の前で堂々と飲まないのか。。。。。
隠れてコソコソ飲むことが、
アルコール依存症の特徴?だからだろうか???

以前、二人で毎晩、晩酌していた頃、

「お前は、飲み過ぎだ。
 体を壊すから、もう、酒はやめた方がいい」

夫は、私のことをいつも心配していたが、
体を壊したのは、夫だった。

酒がドクターストップになった夫の側で、
私だけが飲み続けることは出来ない。

ふたりで酒を断てば、
飲めない辛さを分かち合い、頑張れるだろう。

夫の具合が良くなるのなら、この先、一生、
酒ナシの人生でもいいと思っていたのに……。

夫は、私に内緒で、再び酒を口にしている様子。

夫が断酒をしている振りをしているのは、
私に酒を飲ませたくないからなのかもしれない。

酒浸りの日々が復活し、私の体がダメにならないように……。

そんなふうに、思えてしまい、
コソコソと飲んで、小さく酔っ払っている夫を
ただす気にはなれなかった。。。。。。

片棒

人込みに酔いやすい私は、一人での外出が不安で、
観たい映画があると、夫を誘っていた。

映画が期待外れで、
夫は、私の横で舟をこぐこともあったが、
文句は言わず、付き合ってくれた。

2011年2月、
映画の封切りを知らせるテレビCMが気になって……。
でも、夫に声を掛けることは出来なかった。

どうしても、観たかったので、
仕事がお休みの平日、黙って一人で出掛けた。

「毎日かあさん」
西原理恵子さんのベストセラー漫画を映画化したもので、
小泉今日子さんと永瀬正敏さんが夫婦役を好演。

アルコール依存症と格闘中の夫がいる、
家族の日常が描かれていて……。

見覚えのある病院風景は、夫の入院先だった。
あの病院で、回復を祈って、過ごしたはずなのに……。

激ヤセした体に坊主頭の永瀬正敏さん。
その迫真の演技に、夫の姿がダブり、
心揺さぶられ、涙が止まらない。。。。。

「酒飲みが、酒を飲めなくなったら、おしまいさ」

入院治療を受ける前、夫は、そんなことを言って、
せっせと、酒を体に流し込んでいた。

治療後、酒を飲んではいけない体と知っても、
酒と縁が切れず……。

飲まないで生きる道は、生きにくい。。。。。

夫は、夫の好きなように生きればいい。

こんな私の考えが、
夫を依存症にさせているのかもしれない。
私は、酒飲みの片棒を担いでいる。

あんまり

桜花の季節、
会社の親睦会があるので、夕食は不要との事。

毎年恒例の花見酒。
夫が、酒席へ参加する。

「あんまり、飲まないから……大丈夫だよ」

これは、夫の飲酒宣言だ!!
明らかに、飲む気、満々である。

もはや、
アルコール依存症の入院治療を受けたことは、
すっかり、他人事のようになっている。

「ぜったい、飲まないから……大丈夫だよ」
と、言って欲しかった。。。。。。

「あんまり」って、あんまりだ。

嘆いてみても始まらない。
夫の行動を指図しても、
夫の神経を悪戯に苛立たせるだけ。

全て、成り行きに任せるしかないのだけれど……。
ため息が止まらない。気が重い。。。。。。

会社の人たちは、夫がアルコール依存症の治療のため、
約3ヵ月間休職し、入院療養したことを知っている。

酒で身体を壊したことは百も承知の上で、
夫を酒席に誘ってくれる。

「また、酒が飲めるようになって、よかった」

飲み仲間は、そんな風に、思っているのだろう。

アルコール依存症は、
酒をコントロール出来なくなるという、
脳の障害の一種なのだ。

その回復への道は、「断酒」しかない。
もう、二度と普通に飲むことは出来ないのだ。

周りから、理解されない病気だ。。。。。

「酒好きが、好きな酒を飲んで、騒いでいる」
そんな風にしか、見えないのだろう。。。。。

はしご酒に付き合わせた後輩を連れて、
深夜、夫は帰宅した。
二人とも、泥酔状態。
そのまま、仲良く寝入ってしまった。

この後輩さんの飲酒傾向が、
若い頃の夫に似ているように見えた。
。。。。あぁ、ここにも、
アルコール依存症の予備軍がいる。。。。。

父親ゆずり

熊本で生まれ育った夫の父親は、
焼酎を肌身離さず持ち歩く、酒飲みだった。

酒癖が悪く、夫婦喧嘩が絶えない家庭で、
夫は育ったと言っていた。

東京の私大に進学し、家を出ると、
卒業後も、そのまま、東京で就職し、結婚した。

「父ちゃんみたいに、なりたくない!!」

夫が父親を嫌うので、
遠方であったこともあり、あまり交流がなかった。

2002年、3月、
父親は、運転していた車を駐車するため、
いったん停車した所で、意識を失って……。
助手席の母親が慌てて救急車を呼んだそうだ。

その時、アルコール臭が、かすかに漂っていたらしい。

病院へ行ったが、脳の血管が切れて手遅れ……。
半日後に亡くなった。

毛嫌いしていた父親の葬儀を済ませると、
夫は、何かが吹っ切れたようだった。

今、思い返せば、
この頃から、夫の酒の飲み方が荒くなったのだった。

「眠れないから。。。」と、深酒するようになり、
酒で身体がどんどん壊れていった。

目覚めの一服。そして、迎え酒。
父親ゆずりの飲み方だった。。。。。

退院後、「眠れない」は、
睡眠導入剤を数種類処方してもらっているので、
大丈夫なはず。

なのに、隠れ酒が止まらない。。。。。。

「飲む飲まないは、全て、依存者に任せて、
 一切タッチしないようにする

夫が、再び「どん底」を体験し、
本気で酒をやめる日が遠くないことを祈りながら……。

私は、傍観者の立場を続けていた。

娘の引っ越し

2011年、晩秋、
突然、娘が家を出て、自活すると言い出した。
4月に入社して、半年余り。
娘は、こつこつと小金を貯めて、
職場近くの部屋を借りる計画をこっそり進めていたのだ。

これに賛同した娘の彼氏さんが、
自分も実家を出て、「一緒に暮らす」と決心したので、
娘のひとり暮らしは、ふたり暮らしへと、
計画変更になってしまった。。。。。

親が反対した所で、諦めるような娘ではない。

若い二人の部屋探しは、夫を巻き込み……。
部屋が決まると、娘の荷物は、夫が車で何回も運んだ。

最終荷物を運び入れ、
購入した組み立て式の家具を数点、作るのを手伝い、
終わった時は、夜10時を回っていた。

娘を新居に残して、夫と私だけが、自宅へ帰る。

その帰り道、夫は、自宅近くのコンビニで車を停めると、
缶ビール1個と焼酎のワンカップ2個を買って来た。

片道、車で1時間ちょっとの距離だが、
親元を離れた娘の無事を祈らずにはいられない。

家族がひとり減った寂しさもあり、
夫は、飲まずにはいられないのだ。

隠れて、コソコソではなく、
今日だけは、夫婦で飲みたい。。。。。

私が遠慮すれば、
夫の立場がないように思えて、
夫に勧められるままに、ワンカップを1個飲み干した。

夫の入院以来、
願掛けの酒断ちを続けていた私にとっては、
1年4か月ぶりの酒だ。

以前は、美味いと思って、がぶがぶ飲んでいたが、
その夜の酒は、喉に沁みて、苦いだけだった。

喜怒哀楽、私たち夫婦には、酒がついて回る。
昔から、そして、発病しても、今もなお。。。。。

暗雲

娘の引っ越し祝いで、一時、飲酒したが……。

自宅での酒解禁は、大量飲酒につながるので、
何としても、阻止したい。。。。。

食卓に「アルコールは不要」を貫き、
夫の隠れ飲みにも、そ知らぬふりを通した。
                                 
2012年、元旦、
ささやかなおせち料理は並べたが、
もちろん、酒の用意はしなかった。

新年の朝、夫は、日本酒のワンカップを
遠慮がちに、私に差し出した。

夫が発病する前のお正月の風景は、
朝酒で乾杯が恒例だったが……。

もう、飲酒してはいけない体なのに、
まだ飲めると思い込んでいる夫。

そんな夫を責める気にもなれず、
私は、重い心で、お燗した。

夫が口にするアルコールが、
ちょっとでも、少なくなるよう……。
私は、新年早々、憎い酒を進んで飲んだ。

そんな小細工は、何の問題解決にもならない。

何とも、暗雲が垂れ込める、
一年の幕開け!?だった。

そして、その通りのことが起こった。。。。。

初笑い

首にクサリでも付けて、家に閉じ込めて
おくことが出来たら、どんなにか、気が楽だろう。。。。。

正月3日の昼過ぎ、
夫は自転車に乗って、一人で出掛けた。

「駅前の商店街へ行く」と言っていたが……。

20分と経たないうちに、舞い戻って来て、
荒々しく、玄関ドアを開け、叫んでいた。

「ケガしたぁ~~~」

玄関先で、ブーツが脱げずに往生している夫の足から、
無理矢理、靴を外し……。

ヨロヨロしている夫を部屋の中に引きずり入れた。

坊主頭の天辺から、鮮血が流れていた。
右肘からも血が……。

でも、夫が顔を歪めて痛がっていたのは、
右足の指2本、中指と人差し指だった。

自転車通行可の歩道を走行中、
ふらつき、標識にぶつかり、コケたそうだ。

意識を失って、倒れていた所を、
通行人の男性が声を掛け、介抱してくれたそうで……。

車道に倒れていたら、車に引かれていたかもしれない。

「病院に行こう」と、私が勧めても、
「大丈夫。寝てれば、治るから。。。。」

夫は、事の重大さを分かっていないので、
頭の傷口をデジカメで撮って、確認させた。

「血が出ているんだから、大丈夫。
 内出血じゃないから……心配ない」

病院行きを強く拒むので、様子を見ることに……。

ガーゼを当てて、テープで押さえるも、
坊主頭の毛が邪魔して、ずれてしまい……。
あちこちに、血が垂れて、汚れるので……。
手ぬぐいをあてて、ほおかぶりにしてみた。

P1050017.jpg

なんか、こそ泥みたい!?と、夫は嫌がったが……。
見た目より、止血が優先だからと、我慢してもらった。

それにしても、手ぬぐい姿、ひょっとこみたいで……。
夫の前で、
吹き出しそうになる笑いをこらえるのが大変で……。

悲しすぎる、今年の初笑いだった。

お正月にかこつけて、昼間から、酒を隠れ飲み、
しかも、自転車を飲酒運転!!

自業自得なのだ。
夫には、猛省していただきたいものだ!!

手ぬぐい姿に目が慣れてきた、その日の夜、
笑っている場合ではない、状況へ……。

待ち時間

「たぶん、折れてる。。。。」

夫は、足指の痛みばかり訴えていたが、
頭の傷も、出血が止まらない。
ガーゼは、すぐに血で染まった。

「やっぱり、病院に行こう、ね」
「大丈夫。 明日、行く」

夫は、かたくなに病院行きを拒んでいた。

ところが、夜8時近く、息子が仕事から戻ると、
「今から、病院に行く。車で連れて行ってくれ。。。。」

長い夜を思うと、耐えられそうにない痛みなのだろう。

救急医療情報センターに問い合わせ、
息子の運転で、紹介された病院へと急ぐ。

病院に着くと、夫は車いすに座らされ、
診察室前の廊下で待つようにと案内された。

「トイレに行きたい」と、夫が言い出したので、
息子が車いすを押して、連れて行った。

なかなか、戻らないので、不審に思っていたら、
息子だけが、私の所に戻って来た。

そして、小さなウイスキーの空き瓶を2本、
そっと、私に差し出した。

どうやら、夫は、家を出る時、
ジャンパーのポケットに小瓶を忍ばせたらしい。

事もあろうに、病院のトイレの個室で、
その原液をイッキ飲みしてしまったのだ。

「今、洗面台で、ゲーゲー、血と一緒に吐いている」

そう告げると、息子は父のいるトイレに向かった。

呆れて物が言えない。
酒は、痛み止めの麻酔ではない!!

夫の目は、うつろに泳いでいた。
どこから見ても、酔っ払いだ。

私も息子も、
やるせない思いばかりが募る待ち時間だった。

痛み止め

「あの~、失礼ですが……。
 ご主人様、お酒を飲まれてますよ、ね」

年配の女性看護師が遠慮がちに聞いて来た。
酔っ払いの付添いは、肩身が狭い。。。。。

正月の3日ということで、
大目に見てくれている様子が有難かった。

夫は、脳のCT撮影を終え、
脳神経外科の診察では、異状なし。
頭の傷口は、大きなガーゼでフタされ、
ひと安心したのも束の間。

足の診察は整形外科へ回され、
また、順番を待つことに……。

その間、救急車が3回、急患を運んで来たので、
夫の番は、どんどん後回しにされてしまった。

待ちくたびれた夫は、「早くしろよ!」と、騒ぎ出し、
車いすから立ち上がり、勝手に診察室に入ってしまった。

慌てて息子が父親を連れ戻し、
車いすに座らせると、「帰る、帰る」と、騒ぎ出し……。

他の患者や家族たちは、静かに待っているのに、
夫だけが、ろれつが回らないお喋りを繰り返していた。

たちの悪い酔っ払いだ。
自分のことしか眼中にない。

夫をなだめて、すかして、くたくたになった頃、
やっと、整形外科の診察開始。

レントゲンの結果、足の痛みは指の脱臼と判明。
外れた関節を、医者が思いっきり、引っ張ると、

「イ~~・・・・・」

酒は、麻酔の役目を果たさず……。
夫は、半分出かかった悲鳴を噛み殺していた。

会計で法外な医療費を支払うと、
優に午前0時を回っていた。

帰路の車内で、夫が私に言った。

「財布を持って来なかった。 500円、貸して!」
「何を買うの?」

私の質問には答えず、今度は息子に話しかけていた。

「コンビニで車を停めて」
「コンビニには、寄らないよ」

息子が優しい口調で答えると、夫は黙ってしまった。

痛みはあるが、
ケガの処置を終えたことで、ほっとしたのだろう。

痛み止め代わりに、
また、酒を飲もうという魂胆が見え見えだ。

いつでも、どこでも、どんな時でも、
飲酒へと結び付けることが出来る夫
が、
哀れでもあり、可笑しくもあり……。

私は、心の中で、泣き笑い。
厄介だけど、
家族なんだから、受け入れるしかないんだなぁ。

タイムカプセル

正月明けから、
夫は、隠れ飲酒のせいで体調が思わしくなかった。

痩せ細った体には、寒さも人一倍こたえて……。
かろうじて、出社していたが、仕事にならない様子。

そんな時、春風に乗って、一枚の葉書が舞い込んだ。
小学校の同窓会開催の知らせだ。
卒業後40年で、
当時のタイムカプセルを掘り起こすイベント付き。

今まで、夫は、遠方であることを理由に、
一回も参加したことがなかった。

でも、この「タイムカプセル」には、心が動いたようで……。

「これが、最後の長距離ドライブだ。。。。。」

2012年、ゴールデンウィークの9連休を利用して、
夫は、片道1000キロ弱の旅に出た。

夫の心に区切りを付けるかのような旅のドライブに、
息子が寄り添い、交代で車を走らせた。

連休中も仕事が入っていた私は、
父子の旅の安全を祈りながらの留守番。

タイムカプセルは、高さ40㎝ほどの陶器の壺で、
蓋が割れていて、中に雨水が溜まっていたそうだ。

中身の文集や作文が、水浸し状態。
まずは、干すことに……。

皮肉なものだ。
少年は、40年後、酒浸しだ。

乾いた文集の紙は、シミだらけ、一部は溶けていて……。
元には戻らない。

夫の体も、然り。。。。。。
アルコールの痕跡は消えない。

夢物語

今、抱えている問題は、取りあえず忘れて、
夫は、故郷での同窓会を楽しんで来たようだった。

小学校の校庭でタイムカプセルを掘り起した後、
夜は、ホテルでの宴会が用意されていた。

夫は、事前に、そのホテルに部屋を予約し、
酔い潰れてもいいように、態勢を整えていた。

会場には、同級の卒業生、男女20人が集まったそうだ。

長い年月のご無沙汰に、酒が一役買って……。
40年前に、タイムスリップするのに、
多くの時間は要らなかったようだ。

思い出話は尽きることなく、
次回の再会を誓って、お開きとなったそうだが……。

同窓生は、夫の病を知らない。
夫も、自身の病気を認めていない。

再会の約束は、果たせるのだろうか。。。。。。

帰宅後、体の不調は、日毎に大きくなり……。
合併症の糖尿病が悪化したのだろうか。
両足先の冷えとしびれが酷く、
仕事も手に付かない様子が続いた。
汗ばむ季節だと言うのに、
使い捨てカイロを靴下に貼り付けて、凌いでいた。

身体は、正直だ。
着々と、夫の酒量が増えていることを教えている。

病気とうまく付き合うのではなく、
酒とうまく付き合いたい。。。。。


そんな夢物語に振り回されて、
夫の身体は、どんどん追い詰められて行った。

悪影響

冷たいのを通り越して、感覚がない。
夫の足先の苦痛は、我慢の限界だった。

足の壊死=切断!?
そんな最悪のパターンだけは避けたい。

2012年6月、
糖尿病治療でお世話になっている開業医に相談すると、
「まだ、大丈夫」との診断。

新しい薬を追加されて、様子を見ることに……。

薬の副作用なのか、吐き気が込み上げ、食欲不振。
消化不良で、酷い下痢が続いた。

再び、開業医を訪ねると、またまた、違う薬を追加された。

しかし、症状は、一向に改善されず……。
本当に、大丈夫なのだろうか。

ままならない体調を持て余し、
憂さを晴らすかのように、夫は、自室で独り酒???

飲み出したら、止まらない。
腸の吸収不良で、下痢も止まらない。

夫は、汚したパンツを次から次へとゴミ箱に捨てていき、
もはや、はくパンツが底を突いた。

「パンツ買って来て! 足りないから。。。。」

そういう問題ではないと思う。

店に行けば、簡単にパンツは手に入るが、
夫の傷んだ身体は、買い替えることが出来ない。

アルコール依存症が、着々と進行している。

不調の原因は、全て、
五臓六腑にしみわたった酒の悪影響なのだ。

もう、一介の町医者の手におえる病気ではない。
優先すべきは、専門病院でのアルコールを抜く治療だ。

「もう一度、あの専門病院で治療してほしい。。。。」

効かない薬と飲んではいけない酒を飲み続けている夫に、
私は、話すタイミングをうかがっていた。

上辺

通院中の開業医の力量に限界を感じた夫は、
地域の中核病院での診察を希望した。

朝一番でT病院へ、二人で出掛けたが、散々だった。

連日の下痢や胃の不快感や足の感覚麻痺を訴えても、
医師は、触診することもなく……。

「検査を希望なら、予約が必要です。
 日を改めてになりますが、どうしますか?」

痛いから、病院に駆け込んでいるのに、
検査をするかしないかをこちらに委ねられても……。

紹介状を持たない診察は、
ちょっとの問診で、門前払いされてしまった。

後日、気を取り直して、他の中核病院を訪ねるも、

「原因はお酒ですね。
 以前、掛かった病院に行かれた方が、よろしいかと…」

そこに行きたくないから、
夫は、すがる思いで、新しい病院を探し回っていたのだ。

このY病院も、取りあえずの薬は処方してくれたが、
二度と来なくていいから的な雰囲気だった。

挙句、以前入院した専門病院への紹介状を手渡されて……。
落胆した夫は、家に引きこもってしまった。

「紹介状もあることだし、
 もう、一度、あの病院に行ってみよう」

「行かない。。。。。」
 
「お酒が原因で、体が悪くなっているのだから、
 やっぱり、あの病院で治療した方がいいと思うけど…」

「あの病院には、行きたくない!!」

夫がかたくなに拒むので、つい、感情が高ぶってしまった。

「このままだったら、治らないじゃん。死んじゃうよ」

「お前には、迷惑かけないから、大丈夫だ!!」

だんだん、話の方向がおかしくなってきて……。

「パパがいなくなったら、
 アタシ、独りぼっちになっちゃう。。。。」

「お前は、独りじゃないよ」

確かに、私には、息子(26歳)と娘(24歳)がいる。
でも、彼らは近い将来、
家庭を持ち、自分たちの家族を作っていく。

そこは、私の居場所ではない。

涙がどんどんあふれて、止まらなかった。

「お前には迷惑かけないように死ぬから、心配するな」

夫の言葉に、はっとした。

医者も、夫の上辺しか見ていないが、
きっと、私も同じだ。

夫の心の叫びを聞き落している。。。。

大切なもの

私の母は、酒が飲めなかった。
父に勧められて、ビールを一口飲んだだけで、
真っ赤になり、フーフー言っていた。

「女は酒が飲めない。酒は男の飲物」と、
子ども心に思っていた。

だから、夫と付き合うまで、
私は酒を飲んだことがなかった。

大学のサークルのコンパで、
夫は、楽しそうに、酒を飲んでいた。
他の男子のように、酔い潰れたり吐いたりすることなく、
きれいな飲みっぷりだった。

それは、それは、美味しそうに飲むので、
「本当にお酒が好きなんだなあ」と思った。

酒の味が気になって、ある日、いっしょに飲んでみた。
恐る恐る、口に入れたのだが、
母のように真っ赤になることもなく、
気が付けば、1升瓶が空に……。

どうやら、酒豪の父の血を受け継いでいたようだ。

母の代わりに、
父の酒相手が出来たかもしれないのに……。
残念だ。
父は、胃癌のため43歳で、他界していた。

こうして、私は、
夫の酒相手に収まり、呑兵衛街道まっしぐら。。。。
酒に翻弄される人生の幕開け???

夫は大酒飲みだが、
酔って、家族に暴力を振るうことはなかった。

酔っ払い特有の話のくどさはあったが、
飲むだけ飲むと、寝てしまうので、
夫の大量飲酒は、大体が放任状態だった。

夫の飲むスピードがあまりにも速くて、
その給仕に追われ、
こちらは、落ち着いて飲んでいられなくなり、
初めて、夫の飲み方の異常さに気付いた。

何度も、飲み過ぎを注意したが、
既に、私も飲み過ぎているので、説得力がなかった。

長年の大量飲酒による弊害が、体のあちこちに表れて、
病院に駆け込むと、酒を抜く治療を勧められ……。

目の前にある体の痛みから、逃れたい一心で、
夫は、紹介先の専門病院での入院を受け入れた。

だから、体の調子が回復すれば、
また、酒を飲みたくなってしまうのは、予測ができた。

でも、家族思いの夫は、
きっと、「飲まずに生きる道」を選んでくれるだろう。
そんな淡い期待もあったが……。

気が付けば、酒は夫の体内に収まっていた。
飲めば、体は絶不調へと急降下。。。。。

あの入院から、ちょうど、2年が経ち、
今、夫は、より進化した痛みに包まれて、
自暴自棄になっている。

夫が、何よりも、酒が大好きで大切なものと、
頼りにしていたのは、知っている。

でも、命はもっと大切だ。

大切な命を守るために、
大切に思う酒を捨てなくてはいけない。


夫は、ぎりぎりの決断を迫られている。

我慢の飴

ちょっと、調子が良くなると、酒を一杯引っ掛ける。

どうにもならない現実から、
酔いの世界へと逃げ込んで……。
四六時中、うつらうつら、寝ている。

そんな日が数日続くと、
決まって、五臓六腑が悲鳴を上げる。

その痛みに顔を歪め、
苦痛が過ぎ去るのをひたすら耐え忍んで……。
やはり、一日中、寝転がっている。。。。。。

この光景を何度見て来たことだろう。
何度、絶望感に襲われたことだろう。

私が心配しても、しなくても、夫は酒を飲む。
夫は、そういう病気なのだ。

断酒で、病気の進行を抑えることはできるが、
病気そのものは、治らない。。。。。。
この先、一生涯、病気と付き合っていくしかない。

短気な夫は、気長に構えることが苦手だ。

最近は、夫の振る舞いを
「しょうがないなぁ~」と、思うようにしている。

あきらめるのではなく、受け入れる。
「しょうがないなぁ~」
愛すべき?、酔っ払い。。。。。。

P1050819_20120805103646.jpg

食卓のテーブルには、飴の容器、
「トマト、ホウレンソウ、ブルーベリー……」が、
出番を待っている。

夫が「美味しい!!」と言った飴を
切らさず、常備している。

この飴の減り方で、飲酒が分る。

飲みたいのを我慢しているのだろう。
最近は、飴がよく売れる!?

夫も、つらいのだ。。。。。。

手を引く

「こんなはずじゃ、なかった。。。。」

飲めない人生が待ち受けていようとは……。
夫は、夢にも思わなかったのだ。

好きな酒を飲んでいただけで、
何も悪いことはやっていないのに……。

むしろ、
仕事は人一倍頑張って、やってきたじゃないか。
大黒柱として、家族を養ってきたじゃないか。

「ずっと、俺が働いて、食わせて来た。
 もう、疲れた。 家事はするから。
 今度はお前が、俺と同じだけ稼いで来い!!」

ままならない体調に苛立ち、
夫の言葉は刺々しくなるばかり……。

下の子が高校生になるまで、
私は三食昼寝付きの専業主婦だった。

その後、ちょこっとだけ仕事に出ているが……。
ボケ防止になれば…程度なので、
家計の足しにもならない。

「俺と同じだけ稼いで来い」と言われても……。

年齢とともに、体力も能力も、
低下の一途をひた走る私に、稼ぐ力は無い。

やはり、夫が働いてくれないと、
生活は成り立たないのだ。

7月、夫は10日ほど出勤し、後は家で寝ていた。
8月になり、また、休みがちに……。

アルコール依存症は、自分の健康も仕事も失う病気だ。
依存症の猛威で、家庭が壊れていく。。。。。

「お酒をやめないと、体の痛みは消えないと思う。
 もう一度、依存症の治療に挑戦してみよう、ね」

「イヤだ。  どうせ、治らない」

夫の心は固く閉ざされている。。。。。。

読みかじった知識、

「相手の領域に立ち入らないようにする」

つまり、依存症者がすべきことだと判断したら、
一切、手を引くようにすること。

家族の過干渉は、
何ひとつ、良い結果をもたらさないそうだ。


・いつ出勤して、いつ帰るのか
・外来に通うこと
・寝る時間、起きる時間
・アルコールを飲むこと、やめること
・断酒会へ行くこと
・健康を守ること

家族が口を出さない方が良い具体例が、列記されていた。

病院へのお誘いは、N・Gだ。

今一度、読み返し、
夫の目に余る振る舞いをおおらかに受け流すよう、
自分に言い聞かせてみたものの……。

夫に頼まれて、その背中や腰にシップを貼りながら、
こんな気休めで、ごまかしても、
何も変わらないのに…と、夫への不満がわだかまる。

黙って見ているのは、簡単なようで難しい。。。。。

優先

病気をすり替えている。

夫が訴える、数々の痛みの原因は、
全て、隠れ飲んでいる酒の仕業だ。

「アルコール依存症」の治療を優先しなくては、
何も解決しないのに……。

この期に及んで、
「酒も煙草も、やってない!!」と、まだ、白を切る。

夫の部屋で、ウイスキーの空瓶に何回も遭遇し、
裏切られた思いを、いくつも封印してきた。

私の我慢にも限界があるのだ。

的外れなことを言っている夫に、
もう、合わせていく自信がない。。。。。

「糖尿病」を前面に出し、手足のしびれが酷いので、
字も書けないし、車の運転(営業)も覚束ない。

吐き気と下痢に襲われて、仕事も手に付かない。
物忘れも目立つようになってきた。

だから、会社を辞めるそうだ。

「週に2,3日の出社でもいいから、
 後輩の指導や営業事務をしてほしい」

社長は、夫の体調を考慮し、
夫の能力を高く評価し、見守る姿勢なのに……。

今、失業して、収入が途絶えたら、
病気の治療も出来やしない。

家に籠って、ずるずると飲み続けて、
酒浸りになることは、火を見るより明らかだ。

優先すべきは、再発した病気の治療だ。

夫が決断しなくてはいけないのは、
会社を辞めることではなく、酒を止めることだと思う。

夫に言いたいことは、山ほどある。
でも、黙っている。
口に出すと、感情も出てしまい、
冷静でいられなくなりそうだから。。。。。

裏目

最初に気付いたのは、夫だった。

「トイレの足マット、ビショビショだよ」

朝一番にトイレに行った夫は、
その汚れ方を不思議がっているのだ。

夫は寝ぼけながら、夜中、何度もトイレに行く。
おそらく、部屋でこっそり飲酒している夫以外に、
トイレを汚す者はいない。

腑に落ちないが、
そのままでは、不快なので、掃除した。
それは、数週間前のことだった。

そして、数日前の夜、
トイレの前の洗面所で、用を足している夫を見た。

慌てて、トイレに誘導するも、動かない。
私の声が聞き取れないようだった。

用が済むと、洗面所の蛇口を思いっ切り全開にして、
水を流していた。

「ここは、トイレじゃないのに……。間違えてる」
 
「うるさいな。 間違えたかどうか、今、見ている」

夫は、その場に座り込んで、
着ていた肌着を脱いで、いじり回していた。

「寝ぼけているの? 酔っ払っているの?」

「うるさいな! 今、調べてるから……。
 ここに、書いてあるから……」

夫は、肌着の裏側に付いている、
洗濯の仕方が表記されている小さなタグを
食い入るように見ていた。

完全に、イカレテいる。

洗面所の足元が水たまり、
しかも、尿では、家族が迷惑する。

「病人」の夫相手に、腹を立てても無駄なので、
取りあえず、雑巾で拭き取り、終わりにした。

昨夜も、トイレを探して、家の中を徘徊し、
玄関を開けようとしていたので、
背中を押して、トイレに連れて行った。

「やれやれ」と、居間に戻ると、ドスンと音がして……。

慌てて、見に行くと、
トイレから出た夫は、その前の廊下に倒れていた。

「頭が痛い。。。。」と言っていたので、
打ち所が悪かったのかと、心配したが……。
目立つ外傷もなく、ただの飲み過ぎらしい。

こんな所で、寝込まれては邪魔なので、
無理矢理、起こして、ベッドへ連れて行くと……。

シーツの色ムラが目に飛び込んで来た。
まじまじと見ると、濡れていた。
まさか、失禁!???

泥酔状態の夫相手に騒ぎ立てても、
布団が元通りになるわけじゃないので……。
世界地図?をバスタオルで隠して、
その上に、そっと、夫を転がした。

季節が夏で良かった。
そのうち、乾くだろう。

最近の夫は、どんどん飲み続けるばかりで、
ブレーキが効かなくなっている。
アルコール依存症特有の飲み方だ。
本人だけが、酒の被害を自覚できないでいる。。。。。

私の存在が、全て、裏目に出ているのだ。
夫が飲み続けるよう、私が手助けしている!?
私がいない方が、夫は立ち直れるのかもしれない。
ジレンマに、心が折れる。

本当に、因果な病気だ。。。。。。

危機的状況

10年以上前、
商店街の福引でいただいた、カポックの苗木。

売れ残り品みたいだったので、すぐ枯れると思ったが、
意外とたくましくて…。

夫が、何度か鉢替えをして、面倒を見ていた。

そのカポックが、初めて、花を咲かせたのは、
夫が入院中だった、2年前の夏。

物言わぬ植物が、見慣れぬ花を咲かせて……。
夫の回復を応援しているように思えた。
貴重な花を写メールにして、夫に届けたのだった。

その翌年、カポックは花を咲かせなかった。
何かの暗示なのだろうか?
今年は、咲いている。

P1050826_20120815221052.jpg

ネットで調べると、花が咲く原因は2つ。
「株が成熟した」
「株が危機的状況のため、
 花を咲かせ、実をつけ、子孫を残そうとしている」
             
どうやら、株が危機にあるようだ。
鉢の底からは根があふれ出し、窮屈であることは明らか。
カポックには、一回り大きめの鉢が必要だ。

今、夫の身体も、危機的状況にある。。。。。

夫には、もう一度、
あの専門病院で、病気と向き合う時間が必要だ。


夢遊病

寝酒がエスカレートして、
アルコール漬けになってしまった夫には、
寝つきを良くする薬が数種類処方されている。

「アルコール類は薬の作用を強める
 ことがありますので避けてください」

そんな注意書きは、夫には無意味なのだ。

以前、インフルエンザに罹った時、
私の静止も聞かず、夫は晩酌してタミフルを飲用。
狂気の沙汰としか思えなかった。

「焼酎は水代わりだ!」
当人は、いたって平然としているので、
心配するのが、バカらしくなってしまった。

そんな夫だから、
薬と酒の併用なんて、朝飯前なのだ。

睡眠剤と酒の相乗効果?で、夢遊病状態。

マンションの3DK、狭い間取りで、トイレは一つ。
なのに、相変わらず、トイレの場所が定まらない。

昨夜は、トイレに隣接している風呂場に入って行った。
そのうち、出て来るだろう。
私は、寝床で寝たふりして、高を括っていたが……。

しばらくしても、出て来ない。。。。。
し~~んと、静まり返って、不気味。

風呂場で、寝ちゃったかな???

そっと、扉を開けると、
素っ裸で、電動バリカンを頭にあてている夫がいた。

「散髪なら、明日、やればいいのに……」
「…眠れないから……」

くりくり坊主になって、さっぱりした夫は、
ますます、目が冴えてしまったようで……。

着替えると、こっそり、外に出て行った。
きっと、深夜のコンビニへ酒を仕入れに行くのだろう。

飲み続けたその先には、死しかないのに……。

憂さを晴らすために、
夫は、酒を手放せずにいる。。。。


「夫を助けてあげたい」と、案じながら、はっとした。

助ける力なんて、ありもしないのに、
「助けてあげたい」とは、上から目線だ。

私の思い上がった態度が、
夫には、鼻持ちならないのかもしれない。

夫自身が、「助かりたい」と、強く思わなければ、
この病気は、解決しない。。。。。。

毬栗

町医者は、つくづく、いい加減だと思う。

「栄養失調気味ですね。
 栄養価の高い食事を心掛けてください。
 奥さんに、美味しい物を作ってもらうといいですね」

4週間毎の通院で、採血検査も受け、
糖尿病を中心に7種類ほどの薬が処方されている。

夫は、具体的な検査結果を教えてくれない。
肝機能の数値の上昇を隠しているのだと思う。

医者は、夫のγ・GTPの数値から、
多量の飲酒をお見通しのはずなのに……。

自宅近くの開業医は、飲酒を咎めないらしい。

飲みたい夫が飲めるような、
都合のいい診療をしてくれるのだ。
だから、医者嫌いの夫でも通院が続いている。

下痢も、手足のしびれも、吐き気も、
飲酒し続ける限り、治まらないだろう。

栄養のある物を口に入れた所で、
酒漬けの内臓では消化吸収できないと思う。

安くない病院代を、定期的に支払う夫は上得意様だ。
的外れな治療をしてても、手遅れになるだけだ。

P1050835_20120820131515.jpg

散歩の途中で見つけたのだろうか。
夫の部屋に、毬栗がひとつ。

この部屋で、夫は、小瓶のウイスキーを隠れ飲む。
体調は、すこぶる悪い。
心には、無数のトゲが刺さったままだ。

毬栗に、夫の心のありようが重なる。。。。。

願わくば、反面教師になってもらいたいものだ。
夫の背中を見て育った息子は、酒も煙草もたしなむ。

息子は1歳で歩き始めるや否や、喘息発作を繰り返し、
昼夜を問わず、病院に駆け込む日々だった。

以来、良くなったり悪くなったりを繰り返し、
今も、予防薬が手放せない。

ちょっと運動しただけで、咳き込むので、
小中学生の頃は、スポーツを楽しむなんて夢の夢だった。

運動とは無縁の息子は高校生になると、
心配する私を尻目に、さっさと野球部に入ってしまった。

「部員が少ないし、強くもないから……。
 のんびり練習しているから、大丈夫だよ。
 ピッチャー、やりたいんだ」

喘息発作を恐れるあまり、
息子にたくさんの制限をかけてきたことを反省した。

野球未経験なのに、
なかなかの剛速球で連続三振、塁に出れば盗塁成功。

息子の意外な活躍振りに、驚くやら嬉しいやらで……。
夫と連れ立って、親ばか丸出しで、
サウスポー・エースの追っかけに明け暮れた。

持病があっても、適切な薬でコントロールすれば、
スポーツを楽しむことが出来る!!
それを実践する息子を誇らしく思えた。

そんな息子も、大学生になると、煙草の味を覚え、
コンパでは無茶な飲酒で倒れ、
急性アルコール中毒で救急搬送された前科がある。
これが引き金になり、
落ち着いていた喘息症状が、ぶり返した。

喘息は、息子が望んだことではないが……。
喘息であるという事実を無視した振る舞いは、
自分を苦しめることになる。

夫も、同じだ。
望んで、アルコール依存症になったのではないが……。
発症したら、それ相応の付き合い方があるのだ。

酒に執着していたら、苦しみは深くなるばかりだ。

かつての優秀営業マンは、
アルコール依存症にはNGの酒と縁が切れない。

かつての高校球児は、
喘息にはNGの煙草を止めることができない。

親が鏡になっている。
依存体質は遺伝するのかもしれない。
息子は、父親を反面教師にすることなく、
真似ている。。。。。
プロフィール

小吉

Author:小吉
相棒の発症のおかげで、
加減して飲むことを学習。
依存症予備軍!?
猫舌の呑助です。。。。。

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